先週は、車で山道を走っていても、山の北斜面は落葉も進んで冬景色になっていたが、南斜面になると秋の様相を残していた。やはり、日照時間とか寒さとか、木々の落葉を左右する要因があるのだろう。それも、この週になると南斜面の山でもかなり冬に近づいた。
この時期になると毎年思うのだけど、日照のもっとも短く弱いこの頃にこそ、光が美しく思える。これは単純に斜光線が美しいと言う理由だけではないだろう。木々や草が眠りにつき、世界から生命の影が乏しくなってきた頃に、光が見せる風景には、どこか人の心を動かすものがあるに違いない。
山道の両側に溜まった枯れ葉を、近所の農家の方が堆肥にするために頻繁にやってくる。それと同時に、猟の季節にもなったようだ。今年は夏の猛暑の影響もあったのか、全国的に野生の動物の被害が報じられることが多かった。猟師は猟犬をつれて山に入っていくけれど、この冬の猟は、どんな感じだろう。
こんな事を書くと、私はとんでもない残酷な人間と思われるかもしれないけれど、ここらで一度、山の鹿やイノシシが震えがって二度と里に下りてこないくらいに、猟で追い詰めてもいいのではないかと思っている。20年前なら、イノシシも鹿も気安く里に下りてくることは無かった。
数年前から、「これはけっこう難しい事になるなぁ」と思っていたことがある。
何年か前、自分の仕事先で行っていた針葉樹の薪の生産を止めて、広葉樹の薪だけに絞る事になった時、それまで針葉樹の薪を納めた所から、「後継の業者を紹介してほしい」と言われた。探してみたけれど、これが大変だった。
薪を作っている所はいくつかあった。しかしそのどれもが、「自分が生産している規模で精一杯で、他に納める余裕はない」という返事だった。
薪の生産は作業自体は簡単だけど、簡単な作業だけに、報酬も少ない。報酬の少ない手作業は、どうしても、なりても少なくなるし、ましてや将来のある若者は、そんな仕事はしようとはしない。
当然と言えば当然。しかし、簡単な手作業をやる人がいなくなる世の中って、成り立つのだろうか。勿論、すべて機械化してしまえばいい、という話もあるが、どんな作業にも、機械には難しい作業は残ってしまう。そこは、最終的には人間がやらなければならない。
手足を使う仕事、体を使う仕事は、よほど待遇を良くしないと人が来なくなる。そんな時代が、数年前から始まっていた。
結果、手足を使う作業に来てくれる人も、いろいろと事情を抱えた人が増えて来る。
自分が仕事をしている工房も、ある人は週に二日だけ働くとか、ある人は扶養の範囲内での収入を得る目的のパートだとか。
ある人は、希望の仕事に就くためにこの地に来たけれど、いざ実際にその会社に行ってみたら、最初の話とは違う事が言われて物別れになり、それじゃあ次の仕事が本決まりになるまで働いてくれた人もいた。
春から秋まで働いて、秋から春までは他の仕事をしている、という人なんて二人もいる。
「〇〇するだけの簡単な作業です」なんて、求人欄によくある常套句だけど、そういう仕事って、よほどこれから気を付けないと、仕事が成り立たなくなるな、と思うのです。
たぶん、今までが恵まれ過ぎていた、という事もあるんでしょう。少子高齢化の時代、虎の子の労働力を、どう上手に使っていくかの知恵が、必要な時代になるのでしょう。
こういう話になると、「給料を上げればいいんだ」という意見が出てくる。確かに、まずはそれが一番まっとうで、解決が早い方法だと思う。実現できるかどうかは置いたとしても。
でもその次に、「給料を上げても、手足を使う仕事はしない」という段階が、来るんじゃないかと思うんですね。
バスやタクシーの運転手の求人には、二種免許の取得も支援するとか書いてある。あの手この手で、働き手を求めるために、いろんな優遇策を、既に打ち出している所も多い。
仕事はある、給料もある、しかし働き手はいない。案外、そんな時代がすぐそばまで来ているのかもしれない。来年は2024年。いよいよ世間で話題になっている、運送業の2024年問題の年になる。こういった問題は、運送業だけではないだろう。
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