2025年 8月3日

 8月に入る。ヤマユリが終わると、今度はウバユリが咲き始める。派手なヤマユリに比べるとだいぶ地味な花で、暗い林の中でひっそりと咲く。ヤマユリ同様に、この花の根も食用になるそうだが食べた事は無い。

 これからも暑い日々は続くだろうが、この花を見ると、少しは夏も峠を越えたような印象がする。あと四日もすれば立秋だし、徐々に晩夏の雰囲気が漂い始める。そんな頃に、お盆があったり、地域の祭りがあったりするのは、何か理由があるのだろうか。

 今日は篠原の祭りの前に、「道つくり」があった。本来は神輿が集落の中を練り歩く前に、道路を綺麗に草刈りして掃除する意味があったのだろうが、今は単に道路沿いの草刈りを地元住民総出で行う行事になっている。朝の八時から草刈りが始まり11時には終了する。そしてみんなで食事をして親睦会となる。この道つくり、昔ながらの行事とはいえ、近年は酷い暑さを心配して、熱中症をおこさないように注意喚起をするようになってきた。

 だいたい、住民が参加する行事の際に、いろんな情報交換が行われるのが普通だ。この時は篠原に熊が現れた事が話題になった。20年前とか、10年前でも、熊が集落に現れるなんて滅多にない事だったが、近年は熊も図太くなったのか、わりと平然と、あちこちの集落で目撃される。まだ人的な被害は出ていないが、蜂蜜を採るための巣箱を破壊されるような事件はたびたびあるようだ。

 前回の日記で、都市を夏場でも涼しくさせようとしたら、土地の多くを緑地にするべきだと書いたし、まあ、それは無理だろうなぁ、とも書いた。ただこの問題、あまりのんびりと考えていい話ではないかもしれない。

 連日のように熱中症で病院に担ぎ込まれる患者が出る。普通の日常でも熱中症患者が出るのなら、たまたま都市で長く続く停電が発生したらどうなるだろう。熱中症の患者の数も、数倍では済まないだろう。数十倍とか、数百倍になるかもしれない。

 つい先日、カムチャッカで大規模な地震が発生し、津波が来るかもしれないと警報が広まった。実際に津波は観測された。さすがに大規模な災害に至るような津波ではなかったものの、それは僥倖と言うべきだろう。

 それに、今回の警報でも、けっこう長い間、海沿いから離れるように言われていた。私は海沿いに住んでいないのであまり実感が湧かないが、それなりに長い時間、自宅から離れて避難状態だった人が沢山いたという事だろう。そんな人たちに、熱中症の患者は出なかったのだろうか。

 暑い夏でも平常時だったら、ある程度、問題なく維持できるかもしれない。しかし非常時となったら話は別になる。冷房が使えない、自宅以外の場所で避難生活をしなければならない、そんな状態になったら大変だろう。

 ちょっと空想を膨らましてみたけれど、都会のビルとビルの間に布でも垂らして、日陰でも作ったらどうだろう。まあ自分でも素朴で空想的過ぎると思うけれど、都市の各地に「日傘」をさすようなイメージで日陰を作る。ただ、あまりにも上空を布で覆い過ぎると風通しが悪くなるので、あくまでも風通しを妨げない範囲での日陰作り。

 なんでこんな事を思ったかと言うと、先日、たしか木曜日だったと思う。その日は誰が見ても「晴れの日」と断言するような空模様だったけど、少し雲の量が多かった。青い空の間を、綿のような雲がぷかぷかと浮いていたが、空全体の半分は、雲が占めていたと思う。

 その日は妙に涼しかった。雲の動きに応じて、時折、自分のいる場所が日陰になっていく。焼けつくような日差しが延々と降り注ぐわけではなく、時折、日差しが降りてきたと思ったら、また日陰になったり。そんな天気だったせいか、風も心地よかった。結局、その日は32度までしか気温は上がらなかった。32度で涼しく感じるというのは、だいぶ狂ってきているとも言えるが、空の面積の半分くらいでも日差しを除けるものがあるというのは、猛暑には有難い環境だと思う。

 最近は男性でも日傘をさすようになった。実際に、日傘をさすと、太陽の熱波を遮ってくれて、日傘の陰にいると、ほっとするのだそうな。だったら、都市に日傘を考えてもいいかもしれない。

 空想的で、子供っぽい素朴な話なのは自覚している。でも、手っ取り早く、災害時や非常時でも、夏の暑さをやわらげるとしたら、こんなアイデアが良いんじゃないかなぁと思った。少なくとも、都市の土地の半分を緑地にして、渓流を復活させて涼を求める事を考えれば、即効性は早いと思う。

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