新年早々、なんか世界は騒がしい。それでも牧馬の里は、例年通りに静かに年が明けた。2日の夜から3日の朝にかけて、少し雪が降った。雪と言っても、地表にうっすらと被る程度に過ぎないので、陽に当たる所は、たちどころに溶けてしまう。丹沢の山々を見ても、雪山になった様子には見られない。ただ、このような真冬の時期に降った雪は、日に当たらない所、例えば山の北斜面とか、道路でも日中でも日陰になってしまう所などでは、なかなか雪が消えてくれない。この時期では真昼になっても雪が除ける気温になってくれないからだろう。こういった雪は案外しぶとくて、積雪によっては春まで残る事もある。
今年は午年だそうだけど、という事は、あの恐ろしい記憶として残っている豪雪から、ちょうど12年と言う事か。あの時は地元の古老でも、「こんな雪は経験したことが無い」と呆れるほどの積雪になり、藤野でも1メートルに達する雪になった。そんな大雪が2月に2回も降ったのだから、その時はよほど異常な気象状況だったのだろう。
私自身にとっても、1メートルなんて積雪は初めての経験で、そもそも家から一歩も出られないという現実に打ちのめされた。積雪のせいで玄関が開けられなかった家も多かったと聞く。
結局、牧馬の里まで除雪車が来てくれるまで、3日はかかったと記憶している。その間、何もできない我が身の無力さを痛感した。スキー板でもあれば、自力で移動できたのかもしれないが。
あの時は、家の中で待機するしか時間の使いようがなく、食事とお茶くらいしか楽しみが無かった。そんな食事だって、常日頃から一週間程度の食料の備蓄は心がけていたから問題は無かったけれど、油断していたら、冷蔵庫の中に食べるものが何も無くなってしまう事態だってあったかもしれない。実際、除雪車が来るまでの最後の日には、紅茶が底をついた。それは、地味に苦しかった。なんだかんだ言っても、贅沢な望みかもしれないが、災害時に嗜好品があると言うのは、精神の安定にはとても有効らしい。
そういえば最近、こんな動画を見たのだけど。
中世ヨーロッパの農民は小氷期の冬の間どうやって凍えずに眠っていたのか
冬の寒さを防ぐ昔ながらの知恵についてのお話しだけど、さすがに、今これを真似するのは難しいなぁと思う所も多々ある。例えば、家畜と一緒に一つの空間で暮らすなんてものは、衛生の問題を考えても難しいだろう。でも、松尾芭蕉の「蚤虱馬の尿する枕もと」なんて句も、人と家畜が同じ屋敷に住んでいる環境を詠んだものだし、日本でも、ほんの少し昔までは、そんな暮らしも普通にあったのかもしれない。それに、この句を解説したこのサイトを見てみると、この句を思いついたとされている東北の旧家は、なかなかの大きいお屋敷で、どうも松尾芭蕉だって、粗末で不衛生な所に寝かされたわけではないらしい。
たぶん、夜、寝静まった豪壮な屋敷の中でも、どこからか牛や馬の息遣いが伝わるような、そんな距離感の暮らしを新鮮に感じたんじゃないかな。
一番興味深かったのが、冬の寒さを避ける昔の家の基本的な構造が、家を半地下の形にする事。家を建てる際には、数十センチは地面を掘って、そこから柱や屋根を作って家にしていた。日本でも縄文時代の家は、そんな構造をしていた。
日本みたいに湿潤で雨の多い土地柄だと、半地下の家なんて、少しの雨が降っただけで家の中が水たまりになりそうだけど、縄文時代の竪穴式住居の在った場所を見てみると、大概、小高い丘の上にあって、雨が降っても雨水はすぐに低い位置へと流れて行き、その場には水が留まらないような場所にある。縄文時代の人間だって、竪穴式住居のデメリットが現れない場所を選んで家を建てていたのだろうし、考えてみれば当たり前だ。
こういう半地下式の家って、今でも参考になるのだろうか。夏は涼しく、冬は暖かい家になるかな。東京のような低湿地だと、さすがに難しいね。ゼロメートル地帯なんてのもあるし、一度豪雨に見舞われたら、なかなか水が引かないような場所もある。そう考えると、縄文時代の人間って、なかなか健康的な、環境の良い所に住んでいたんだなぁと改めて気づかされる。
こういった竪穴式住居の長所を参考にした家作りって、山里の方が可能性があるかもしれない。山の斜面とかに、一部は地下に隠れ、一部は地表面に出るような家って、考えられないかな。
まあ、山里に棲むからには、今度は大雨による山崩れのような、土砂災害を気にしなければならなくなるな。
藤野の各所にも縄文時代の住居跡ならあるけれど、そういう所って、やはり小高い丘の上や斜面にあり、日当りも良く、それでいて土砂災害の心配はなさそうな所にちゃんとある。
まあ、自然の猛威に日々曝されている生活をしていれば、最も住みやすい場所なんて、真っ先に想像がつくだろうな。
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