2025年 11月30日

 11月も終わり、師走に入る。これからいろいろと慌ただしい感じになって来るだろう。特に、そういう義務があるわけではないが、この年にするべきことは、この年に終らしておきたいと言う、気ぜわしい気持ちはある。もう朝の6時でもけっこう暗く、お昼の真っ盛りでも陽は低い。

 山の光景は晩秋といった感じで、ケヤキもほとんど葉を落とした。木々の枝から空が見えるようになり、頭上が明るく広がって感じる。コナラやクヌギの葉も半分ほど落ちて、落葉樹で葉を茂らせている木も少数派になった。こんな、あらかた木々が葉を落とした頃に、モミジは赤く鮮やかに色付く。改めて気づいたけれど、モミジって山の木々の中でも、割と最後の方に色付いて散っていく植物らしい。

 初冬の関東らしく、雨は少なく乾燥が進み、空は青く澄んで、風は冷たくても日差しは暖かい。布団を干せばふっくらと暖かく乾き、夜、そんな布団にくるまって寝るのは至福だ。

 用事があって甲府まで行ってきた。そのまま単調な行きかえりというのもつまらないので、少し時間に余裕を持たせて、朝は早めに出発して、往復の道は裏道を使った。晩秋の静かな山里の道をゆっくりと行きながら、所々で気に入った景色を見つけては写真に撮っていった。本来は半日で終わる用事が、朝から夕方まで丸一日かかった。それでも、行楽気分が味わえたのは良かった。

 一つ残念だったのは、帰りは富士山麓の道を使ったのだけど、そこで渋滞にはまった事。まあ行楽地だから、混むのは当たり前だけどね。

 ただここで、「もうそろそろ、こういった観光も、終わりになるんじゃないかな」と思った。何というか、単に景色の良い所に行って、適当に美味しいものを食べて、絶叫マシーンに乗って・・・いや、それが悪い事だとは言わないけれど、そろそろ飽きがくるんじゃなかろうか。

 たぶんこれから、世界中の人々が、徐々に覚醒していくと思う(大げさな表現だけど)。単なる物見遊山ではなく、自分の人生にとって、何か有意義なものを旅で見つけ、それを体験して、自分の人生をより一歩高めて行きたい、そんな希望を旅行に求めるようになるのではないか。

 なんかそれって、きゃーきゃー楽しむようなものではない。似たような例を挙げると、宗教的な巡礼とか、聖地巡りの感覚に近い。

 これまで時々、この日記で、秋や冬の寒い時期にキャンプをすることについて書いてきた。夏の、いかにも若者らしい遊び呆けるキャンプも、それはそれで素敵だと思う。ただ、晩秋や冬の夕べに、焚火を囲み、お茶を沸かして飲みながら、静かに会話をしたり、静かに自分だけの時間を味わったりすることに、遊びとは次元の違う、人生を豊かにする喜びがあると思っている。

 そんなことを考えると、私自身、もう単純にきゃーきゃー楽しむだけの旅行には、あまり食指が動かない。せっかく時間をかけてどこかに行くのなら、そこに精神的な充実を求めたい気持ちになってくる。

 ・・・とまあ、いろいろと書き連ねてきたけれど、実際に人々がその方向に覚醒するかどうかは分からないけれど。

 自分がこんな事を考えるようになったきっかけの一つに、人工知能の発達と普及もあるかもしれないな。だいたいの答えを簡単に出してくれる機械が普通にありふれたものになると、人間の考える事柄も、少しは変化してくると思う。

 皮肉なもので、あらかた答えを出してくれる存在が普通に共存すようになると、人間は、なかなか簡単には答えの出ない事柄に、向き合おうとし始めるんじゃなかろうか、と思う。人間は飽きっぽいからなぁ、それは短所でもあるのだけど、人工知能が普及した時代には、むしろ長所にもなりうる性質なんだろう。

 答えが簡単に出る世の中になっても、「じゃあ自分は、これからどう生きていくか」という問いに対して、さすがにこれは人工知能が簡単に答えを提示してくれても、はいそうですかと納得できるものではないはずだ。

 さらに言えば、自分はどう生きて、どう死ぬか、と言う、何やら武士道の「葉隠」みたいな心境にもなってくるかもしれない、一部の人は。

 もちろん、そこまで求道者的な人は、旅行者の中でも特殊なものには違いないが、こういった人々が、これから少しずつ、増えて行くような気がしています。

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