秋は静かに深まり行く。紅葉で山の色彩に華やかさを与えた木々も、山の北斜面の道を走っていると、どこか晩秋の感じになってきていた。すでに朝は霜が降りるようになり、車の窓ガラスには氷が張るようになった。これから更に、晩秋から初冬へと季節は進んでいくのだろう。
落葉が進めば山から黄色や赤の色彩が減っていき、常緑樹以外は枯れ木の茶色っぽい色しか無くなっていくが、その反面、木の葉が落ちたぶん、日差しが葉っぱで遮られなくなり、山道が明るくなっていく。山の光景も、鬱蒼としたものではなく、明るく軽やかなものになっていく。関東南部の低山を歩きたいのなら、私としては晩秋から早春あたりをお勧めしたいなぁ。山道を歩いていても蜘蛛の巣を顔面にかぶる事も無いし、ヤマビルも出ないし。
篠原近辺の、石砂山や石老山を登る登山客もいるが、やはり連日の熊報道があるせいか、クマ除けの鈴を鳴らしながら歩く人が多い。先日、藤野でも北側の地域で、熊の目撃例があったそうな。
連休とあってか、道志川沿いのキャンプ場では行楽客が大勢きて賑わっている。よく「キャンプブームは終わった」という話を聞くけれど、確かに疫病が流行った頃の、キャンプくらいしか疫病を気にせずに遊べる場所が見つからなかった頃の最盛期は去ったとは思うが、秋や冬のキャンプの客は、10年前とは比べ物にならないくらい、底堅い需要があるように見える。
かつて、夏以外のキャンプ場なんて、休日でも数えるほどの客しか来ていなかったし、冬なんて客がいない方が普通だった。それが今は、キャンプブームが去ったと言われているけれど、秋や冬でも河原がほどほどに埋まるくらいの客が来ている。ブームは去ったのかもしれないが、愛好家そのものの数は、10年前よりもずっと増えたままだと思う。
私個人としては、キャンプの最も相応しい季節は、少し寒いくらいの時期なんじゃないかと思っている。静けさと、寒さが染み込む寂しい山の中で、焚火の火をかこみ、静かに時間を過ごすと言うのが、都会の暮らしからは最も離れた非日常体験なんだと思う。
前回から人工知能が作る歌について書いてきたけれど、最近はこんな動画を見た。
リンダ リンダ / THE BLUE HEARTS – Toque y Cante Flamenco Reboot ver.
人工知能の普及で、仕事上の定型業務どころか芸術の分野にまでその力が及び始めて、これじゃあ人間がやる仕事が無くなっちゃうんじゃないかという不安も、もはやSFの世界ではなく現実のものになってきた。
ただ、アップした動画を聴いてみると、人工知能も、単に人工知能を使って、人工知能にお任せしてしまえばいい、というものではなさそうだと思った。
人工知能を使うにも、その方面の知識や技術は必要だし、やっぱり素人が単純に人工知能に作らせるよりも、知識や技術を持った人が人工知能を使った方が、良いものが出来るんじゃないかなぁ。アップした動画も、原曲を「こう変えてみたら面白かろう」と考える着眼点の良さと、それをセンス良く、また完成度高く作り変える音楽的知識も持ちあわせて初めて、出来たことだと思う。
それに、人工知能が音楽を作るからって、これからのミュージシャンが絶望するかといえば、そうでもないかもしれない。初音ミクが登場した時に、それに夢中になって歌を歌わせた大勢の人々がいたように、人工知能の登場によって、音楽作りに夢中になる人々も出てくるのだろう。
それにしても、「あの歌を、原曲とは違った、あんな感じで聴いてみたい」というのは、だれでも一つは持っている夢ではなかろうか。私の夢は、細野晴臣の「はらいそ」を、やや低音の女性ボーカルで、けだるい感じで歌ってくれないかなぁ、というのがあるのだけど、いずれ誰が作ってくれるかしらん。
これから、音楽に限らず、いろんな場面で当り前のように人工知能が仕事をするようになってくるのだろう。確かに、人間がやる仕事が無くなってしまうんじゃないか、という不安は常に付きまとうが、人工知能を最大限に使って、それまでは出来なかった夢を実現するために夢中になって使いこなす人も増えてくるのだろうな。
これだけ人工知能が普及する未来が見えてきたとき、人間がやる事って、何かと考えてみたけれど、やはり、何十年もかかるかもしれない「熟練」と呼べる領域を、目指す事だと思っている。その領域にいかないと、人工知能に「使われる」人間にはなれても、「使う」人間になる事は難しい。
でも、瞬時に人が満足できる仕事を仕上げてしまう人工知能を目の前にして、何十年も時間をかけて修行をするというのは、なかなか難しい事だろう。
0コメント