やや強い雨が通過したら、富士山には雪になっていた。少しずつ、冬らしい気配を感じさせる話も出てくる。まあ、まだ藤野では冬はまだまだという所だが。山の木々の紅葉も、ようやく1~2割は始まったかな、といった程度。これから、3割、4割と色付いていくのだろう。
一昔前に比べると寒くなるのが遅いので、今ではこの地域では、なかなか干し柿を作るのが難しくなっている。かつてだったら今頃に柿を吊るしておけば、冬らしい乾いた風に曝されて順調に干し柿になっていったのだけど、今はなかなかそんな風は吹かないし、雨も多いし気温も高い。そんな状態では干し柿になるどころかカビが生えてしまう。
ただ、柿を吊るす時期を遅らせるとか、いろいろ工夫をしている家もあるようだ。こんなふうに新しい文化も生まれてくるのだろう。
山里ではあちこちに柿の木が生えていて、そこらじゅうでたわわに実をつけている。昔だったら、山里の貴重な甘味として採り尽くされていたと思うが、今はほとんど採られる事も無く、実をつけたまま放置されている。これでは、熊に来るなと言う方が無理がある。
毎年、いろいろなニュースが飛び交い、ある年は水害の話題だったり、ある年は疫病の話題だったりと、その年を代表するニュースと言うものがあるが、どうやら今年を代表するニュースの一つは熊で確定だろう。
連日のように人が熊に襲われるニュースが舞い込み、最近は、それにどう対応していくかの論調も盛んになってきた。私の考えとしたら、今までもここで何度か書いてきたように、熊に限らず、イノシシや鹿や猿が人里にどんどん降りて来るようになったのは、何も今に始まった事ではない。始めは少しずつ、遠慮しながらおずおずと警戒しながら里に来た動物たちが、どうやら里の方が美味しいものが沢山あると学び、それに危険性も無いと学んだので、遠慮なく里を闊歩するようになった。それに対策を講じるのなら、野生の動物が里に降りて来るのをためらうように仕向けるために、里に降りてきた動物に不快な体験を継続的にさせるようなロボットでも大量に作って、夜警でもさせたらどうか、とも書いた。
そんな私の意見なんかは、どうでも良いとして、前述の柿の例もあるように、野生の生き物が里に降りて来るのは当然の成り行きのように、里には奥山にはない誘惑が大量にある。じゃあ昔の人々はどうやって野生の生き物と関わってきたのかと言えば、人間の方が暴力的に、野生の生き物を追い詰めていた。これでは野生の動物の方が人間を恐れるし、人里も恐れるし、好んで人の棲む所に行こうなんて気を起こさない。そんな環境がかつては当たり前だった。
ちょっと年配の人に、昔の山の暮らしについて話を聞くと、けっこう猟師が山の動物を猟銃で仕留めて、それが食卓を賑わしてきた話をしてくれる。冬の動物の肉で、一番おいしいのはアナグマの肉なんだそうな。
アナグマはその名の通り、穴を掘ってその中に棲む。猟銃でアナグマを仕留めようと思ったら、アナグマの巣穴を見つけ、大概、穴の出口は一つだけではなく二ヵ所になっているので、片方の穴から追い立てて、もう一方の穴から逃げ出す所を仕留めるのだそうな。こんな話を、どこか昔話でも聴くような気分で味わっていたが、こんな暮らしが普通にあったのは、何も1世紀前ではない。半世紀前には普通だったし、四半世紀前だって、かろうじてそんな文化は残っていた。
今では人間が山の動物に追い詰められているが、かつては追い詰めるのは人間の方だった。それだけ状況が変わってしまっているのだから、熊だって里に降りて来るだろう。
あと、狩猟以外にも、山の動物を里に降りてこさせない文化というものはあったようだ。例えば、今では禁止されてすっかり見合くなって久しいが、犬の放し飼いだって、野生の生き物にとっては脅威だったろう。どうなんだろうなぁ、特別な許可を出して、山里の場合に限って犬の放し飼いを認めるなんて事はできないかな。確かに、犬が人を噛むような事件があったら、また大騒ぎになるだろうけれど。確か長野県のどこかでは、猿対策として、警察犬訓練学校で再教育を施した犬に限るという条件付きで、犬の放し飼いを認めている地域もあったように記憶している。
他にも、山里では日常的に薪を燃やして火を使っていた。これも、野生の生き物を遠ざける一助になっていただろう。
野生の生き物にとって、火は本能的に怖いものだ。煙だって恐れる。昔の山里は、夕方にもなれば、煮炊きの燃料や、風呂を沸かすのにも薪を使い、集落のそこかしこから煙が上がっていたことだろう。
今はうかつに焚火も出来ない。屋外で火を使うには消防署の許可を事前にとっておく必要がある。まあ確かに、全国各地でここ数年、春先の山火事で大木は被害を立て続けに出しているので、うかつに野焼きの復活なんて言い出せる状況じゃないけれど。
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