5月も最後の日曜日。昨日からの雨が続いて肌寒い。予報では今日の日曜日にはまた夏日になるという話だったが、少し天気の進みが遅れたのか、肌寒いまま一日が終わった。まあすぐに猛烈な暑さも来ることだろう。
山道を行くと、道路の所々に白い花が落ちている。それはエゴの木の花で、案外あちこちにある。山の木というのは、ぱっと見には何の木か判らないけれど、こういう時に「ああ、この木はあの木か」と判る。前回の日記で写真を載せたニセアカシアの花は既になく、今度は栗の花やホタルブクロが咲き始めた。水田では田植えが始まり、麦は秋を迎えている。
週に二回は雨が通過し、山の湿度も満ちてきた。九州では梅雨入りの話も聞くし、このあたりも梅雨の始まりを感じさせつつある。
エゴノキの花には蜂が群がっているけれど、ニセアカシア同様に蜂蜜が取れるのだろう。ちょっと検索して調べてみると、エゴノキの蜂蜜も、甘さがあって癖も無く、なかなか上質な蜂蜜らしい。これが栗の蜂蜜になると、味も匂いも強烈で、人を選ぶと言う話だが。
エゴノキの花が終わったら、次はどの花の蜜を蜂は求めるのだろう。市販されている蜂蜜で思い出されるものとしては、蜜柑の花の蜂蜜があるが。これも白い花だね。
藤野には蜜柑はあまりないけれど、柚子ならけっこうある。柚子の花もこれからが時期だけど、柚子の蜂蜜って美味しいのかな。
最近のニュースで、世界の名だたる企業が、経営的には黒字なのに人員整理をやっているというのがあった。どうも、今後の生き残りをかけて企業としての強みを高めるための投資が必要な事が理由だそうだが、人工知能の発達で人員がそこまで必要ではなくなる未来も見据えているらしい。自分なんかが考えるよりもずっと早く、人工知能によって仕事が無くなっていく世の中は近づいているらしい。
始めの頃は、人工知能が発達しても、必要なくなる職業なんて機械で簡単に置き換えが出来そうな定型業務だけかと考えていたら、技術職も同様らしい。考えてみれば、現代の技術職だって、昔の大工みたいにすべて手作業でやるような仕事ではない。製造業だって設計から製造に関わるまでコンピューターが使われることが多い。
試作品を作るのでも、2~30人の技術者で作るよりも、2~3人の技術者と人工知能の組み合わせの方が、早くて良質な結果が出せるかもしれない。そんな未来は既に見えて来ている。
文化的な方面では、その傾向は先行しているそうだ。歌謡曲とか歌を作るのでも、人工知能に「こんな感じの歌詞と曲を作って」とお願いすれば、それらしいものを飽きもせずに大量に作ってくれる。人間に残された仕事は、そうして生み出された作品群の中から、まだ人間にしかできない微妙な味付けを施して、真に人間の心に響くような作品に仕上げる事くらいになってくる。
そんな時代になると、人間に求められる仕事も、かなり高度になって来るな。人工知能が作り出した作品群でも、だいたい80点の物が普通に出来るようになれば、人間の仕事は、その80点の仕事を更に90点や95点へと磨き上げるものになっていく。でもこれって、そもそもこの世界、60点とか70点の仕事が自分の限界という作家だっているはずだよね。そういう人には、人工知能が生み出した作品をさらなる高みへと磨き上げる力量はないという事になる。
人工知能の発達で人間から仕事が消えていくという話は、ずいぶん前から離されてきてはいるけれど、世の中の雰囲気としては、まだ当分先の話だろう、とか、自分がやっているような分野は人工知能の置き換えは無理だろう、とか、楽観的な気分があったように私は感じている。でも実際には、「これから数年」という勢いで、変わっていくのではあるまいか。
勿論、この変化には不安もあるが、悪い事ばかりではないとは思う。何より今までにはできなかったことが簡単に出来る様な世の中にはなっていくに違いない。これまで一般人が、「こんな道具が、こんな機械が欲しい」と思っても、どこかの企業が商品化してくれるか、自分自身が勉強したり技術を身に付けて独力で開発しないと、求めても得られることは無かった。でもこれからは、そんあ個人的な願望ですら、人工知能が形にしてくれるかもしれない。
もしかしたら、これはインターネットの普及よりも、もっと大きく世の中を変えていくのかもな。
そんな時代になっても、人間は人工知能を使う側でいられるだろうか。「使われる側」になりはしないか。
航空機の自動操縦の技術が進んだ頃、こんな笑い話があったとか。
「未来の飛行機の操縦席には、人が一人と犬がいる事になるだろう。」
「人は判るとして、なんで犬が?」
「それは、人が勝手に飛行機の操縦の機器に手を触れないか監視するためだ」
「じゃあ人の役割は?」
「犬に餌をやる事だ」
これが笑い話ですめばいいが。
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