5月も半ばに入ると、立夏も過ぎて、山の木々も新緑の淡さはすっかりなくなり、深い緑を湛えるようになった。もはやどの山も夏の景色に移っている。こんな色合いになると、新緑の頃の、妙に華やいだ明るさではなくなり、単調な緑一色になってしまうが、そのなかでもニセアカシヤやミズキやヤマボウシの白い花が、点々と目に付く。天気予報だと、ここまでわりと涼しげで爽やかな気候が続いたけれど、これから暑さが押し寄せて来るそうな。昨年も一昨年も異常な暑さに押しつぶされそうになったけれど、今年の夏はどんな感じだろう。
藤野はあまり水田には恵まれていない土地柄だけど、それでもわずかにある田んぼでは、田お越しが始まり、田に水を引き始めている。田植えは、場所や人によって早い遅いの違いはあるが、だいたい5月後半から6月初旬が藤野の田植えの時期になる。
そういえば、コメ不足とかコメの価格高騰とかが話題になっていたが、そんな話を聞くと、やはり身近な所で稲作に関わる事も、重要なんじゃないかと改めて思う。これからの課題を考えると、これまで、藤野の田んぼと言えば、農産物として出荷を考えるような規模ではなく、自分の家族用とか、田んぼを体験したい素人の集まりがやるようなものが多かったが、これを少し進化させても良いかと思った。
例えば、藤野のような山間にわずかにあるような田んぼでも、その土地にあった機械や道具を使って、省力化しつつ安定した収穫を望めるようにするとか。
これは田んぼのような農業だけの話じゃないけれど、これまで日本はいろんな分野の工業を発展させてきたけれど、日本の山地にあった、農業や林業の機会を開発してくれないかなぁと思う。そんな日本特有の需要に合わせた商品を作っていたら、同じ商品を世界全体には売れなくなるじゃないか、という意見もあると思う。でも、そうかなぁ。
何も、世界全体で大規模な農業だけが席巻しているわけではないと思う。小規模な農地に適した機械を独自に発展させても、その商品を欲しがる所は、世界各地に沢山あると思う。
なんかここ10年か20年、日本独自の進化を遂げた商品は世界には通用しない、という認識ばかりが流布されたような気がするが、果たしてそんな否定的な現象だけしかないのだろうか。案外、日本で独特の発展を遂げた機械や文化が、時間を空けて、忘れた頃に世界で再評価される事だってあるんじゃなかろうか。
そういえば、イギリスで日本の軽自動車が販売されるようになったらしいね。日本の軽トラが世界で面白がられている話は以前から聞いたことがあるけれど、乗用車としての軽自動車も、そこそこ興味深く受け入れ始めているらしい。
まあ、日本は道路事情が狭くて小回りの利く小型車が歓迎される特異性があるけれど、実際は世界にだって、狭い道が多く張り巡らされた地域は幾らだってある。世界標準では小型車の分類をAセグメントと呼ぶけれど、そんな車を欲しがる地域は、イギリス以外にだってあると思うが。
なんか、日本で独自に進化した技術は、すぐに「ガラパゴス化」と称されて、世界全体では見向きもされない無用な技術であるかのような印象が先行するけれど、ちょっと、その認識を見直しても良いと思う。だいたい、自動車で言えば、でかいSUVとでかいバンばかり作っているアメ車の方が、ずっとガラパゴス化という言葉に相応しいだろう。
さて、農機具の話にもどる。小さな田んぼや畑で、耕したり、地道に雑草を取ったり、時にはイノシシや猿を追い払ったり、そんな機械が普通に動き回るような時代は来るのだろうか。私は期待しているんですけどねえ。
たぶん、単に今まで人間がやっていた労働をそのままの形で機械が引き受けるような進化ではないと想像している。ドローンのような空飛ぶ機械が情報を収集し、その情報を基に、複数の機械が機能的に協業するような、人の手よりもきめ細かい作業へと進化するのではないか。
そうしてできた新しい機械が動く農村では、いざ災害が発生した時には、今度はそういった機械たちが、災害の状況をしらべて、救援活動にも参加するようになるかもしれない。そんな想像を膨らませてみると、まだまだ日本の農村にも進化の余地は大幅に残されていると思うのだけど。
これからの技術者たちは、そんな機械の開発を、楽しみながら、夢見ながら、やってくれるだろうか。その動機があるかどうかが、ちょっと心配。
農村でも、だいたいの事は機械やコンピューターがやってしまう世の中は、どのくらい先の事になるかは判らないけれど、いずれは来ると思う。そんな時、人間は何をするのか。
ただ何もせず、ゴロゴロしているわけではないと思う。例えば、収穫した農作物から、最上級の酒を造る杜氏とか、よほどの熟練と経験と、人間的感性の持ち主でないとできないような仕事に、人間の能力は求められるんじゃないのか。
そんな世界、私が生きている内にお目にかかれるかどうか・・・。判らないなぁ。
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