2025年 4月27日

 そろそろ5月の連休に入りつつある。有休を使えば11連休なんて人もいるかもしれない。やはり行楽の車も増えてきた。藤野の山は、それまでの淡い色合いの「山笑う」光景から、鮮やかな新緑に変わっていった。それに合わせて、紫の藤の花も咲き始めた。桐も紫の花を咲かせ始め、そろそろ芽を出していない木は無くなった感じ。私の知る限り、芽吹きが一番遅いのは桐の木だと思う。

 この「山笑う」頃から新緑への移り変わりは目まぐるしいけれど、それだけに、「もう一回、山笑う光景を見てみたい」と思ったら、案外と簡単に願いはかなう。少し標高の高い所に行けばいいのだ。

 私の棲む牧馬からだと、そんな体験が出来るのは道志の道を西に向かって山中湖まで行く事。この道を西へ西へと向かう内に標高はじわじわと上がっていき、新緑の光景も淡い新芽の光景へと変わっていき、山桜も咲いているようになる。山中湖まで行くと、藤野よりも2~3週間は季節をさかのぼる感じだ。

 この日曜日、そんな行楽をバイクに乗って行ってみた。何でもこの日の朝は寒かったそうで、富士山麓は0度まで下がって霜が降りたとか。

 標高が上がるに従って、麓では散り尽くした桜が咲いているのを見ると、桜前線と言うのを目の当たりにして実感する。

 これだけ行楽客が大勢移動する山里だけど、ここへきて、旧津久井地域の路線バスの廃止の方向が決まったそうだ。実際、路線以よっては空気を運んでいるような所もある。

(陣馬山の登山口へ客を運ぶバスは、バスに乗り切れないほどの客もいるのだけど、こちらも廃止の方向らしい)

 どうも、この問題、単に客が少ないという話だけではなくて、運転士の数が不足しているという問題もあるそうな。この従業員がいなくてバスやタクシーが消えていくという現象は、ここ数年、全国各地で起こっている。私の想像だけど、いずれ、白タクを合法化するしかなくなるんじゃないかと思っている。もしくは、合法化ではなく、勝手に住民がその方向で動き出して、それがその地域の文化になり、既成事実となるような形へ。

 とにかく、バスもタクシーも無くなる。行政の支援も無くなるとなったら、後は住民が勝手に動くしかない。過激な言葉を使えば、地域交通の無政府主義的な動きという事になる。

 私としては、これはバスの問題だけではないなぁと思う。それまで、民間や行政がやってきた事柄が維持できなくなる場面は増えて来るだろう。何しろ人口減少時代と言うのは、そういうものだと私は思うから。

 波が引き潮になるように国力が衰退していく。それまで当たり前に出来たことが出来なくなる。しかし、現場にいる人間は、何とかしなければならない。

  バスの廃止の件では、バス会社にも行政にも言い分はあるかもしれないが、無策だったとも私は思っている。例えば、バスの路線沿いの人口が少なくなって客足が遠のいて、収益の確保が難しいというのは判る。しかし、定住人口が少なくなる一方で、観光などの交流人口を増やそうと言う試みは、旧津久井地域では、私の印象ではほとんど見られなかった。

 相模原市には神奈川県で一番標高の高い山がある。この事実を、相模原市民のどれくらいの人が知っているだろうか。

 以前どこかの記事で読んだのだけど、四国のどこかの山里で、簡易型のモノレール(よく農業用で蜜柑とか運ぶやつ)を少し立派にしたものを作って、人が山を登れるモノレールを設置していた。こんな設備を青根から北丹沢の尾根まで伸ばしたら、それなりの客が来たと思う。そして、三ヶ木から青根行きのバスとか、藤野駅から青根行きのバスを走らせる事も可能になるだろう。

 藤野から見たらお隣の高尾山には、おびただしい数の観光客が詰めかけている。その客の1パーセントの人だけでも北丹沢に来てくれたら、バスの需要も相当変わったはずだ。

 まあ、こんなモノレールには反対する人も多そうなので、現実的ではない。下手に北丹沢に簡単に登る手段が出来てしまったら、サンダルとTシャツで山に登る馬鹿も出てきそうだし。

 もう少し穏やかな観光客誘致の提案としたら、東海自然歩道の再整備といったところか。これだって、きちんと整備をして、客を呼び込む広告をすれば、それなりの効果があったと思うけれど。

 今のところ、バス会社も相模原市も、縮退する山里の活力に対して、座して死を待つしかないと考えているみたいだ。

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