2025年 4月20日

 4月も半ば過ぎた。山の景色も、芽生えの頃から山笑う頃へと移った。世界全体が淡い色合いに包まれ、夢のような明るさがある。そんな萌黄色の中に、点々と桜が咲いている。なんか一般的には、桜って4月始めにはパッと咲いてパッと散ってしまうような印象があるけれど、山の桜は案外と遅咲きのものもあり、鮮やかな新緑と一緒に花を咲かせるものもある。町中の街路樹とか公園でしか桜を見ない人たちには、こういった山の春の景色は新鮮に映るかもしれない。

 暖かさと共に行楽の季節にもなったようで、土日には道志川沿いのキャンプ場には、大勢のお客が押し寄せて来ていた。じきに5月の連休にもなるし、その時は川沿いのキャンプ場の敷地が、すべてテントで埋まるくらいの客の入りになるんじゃないのか。

 春の訪れとともに、藤野ではイベントの季節になった。毎週の土日は、どこかで何かをやっている。藤野のイベントは地元の手作りの素朴なものがほとんどだけれど、それが逆にいいのだろう。訪れるお客たちも普段着の感覚で楽しんでいる。

 行楽の季節が始まると、ちょっとこれは困るなぁと思う現象が、車の通行量の増大で、それも日頃から狭い山道なんか走り慣れていない人が多いので、けっこう危ない運転をする人がいる。ギリギリで車の連れ違いが出来るような道で、堂々とセンターラインをまたいで道の真ん中を走ってくる車とかもいるからねえ。

 最近、こんな動画を見て思うことがあった。

絵描き必見! 富野が教える「良い構図」の作り方『映像の原則』

 現在、あれよあれよと言う間に、人工知能の性能は、音楽や絵画、文章や映像といった、私たちが最も人間的創造性があると思っている分野に力を発揮している。この傾向と、その能力の高度化は今後も進んでいくだろう。

 ただ、私たちが芸術に関して「これは良い、これは感動できる」と思う時、それは決して、その芸術作品の精神性に感動しているだけではないらしい。

 フロイトは、人間の行動原理の中に「無意識」の働きがあると見て、その無意識を突き動かしているものは性衝動だと捉えた。この説には批判もあるかもしれないが、私にはやはり卓見だと思う。私たちが、「これは精神的な産物」と思っているものが、実は身体的な原因が淵源になっている、という現象は多いのではないか。

 リンクした動画は、ア二メーション作品「機動戦士ガンダム」の製作で有名な富野由悠季さんの著書を参考に、映像作品における、構図が見る人に与える心理的印象について解説している。

 登場人物が右側から左側に移動する時と、左側から右側に移動する時とでは、見る人に異なる印象を残す。全体的な構図でも、右側に配された人物と左側に配された人物とで、力関係が変わって来る。

 興味深いのは、こういった構図の影響が何で発生するかについて、富野さんは、「人間の心臓の位置が関係しているのではないか」と考えている事。この説、正しいか間違っているかは私には判らない。

 ただ私には、この「心臓の位置説」と同様に、この原因は、人間の身体的な理由に発しているのではないか、という方向性には私も共感している。

 人工知能は、これから映画だってどんどん作ってくれるだろう。しかし当然ながら人工知能には心臓の位置なんて関係ない。

 たぶん、人工知能に100パーセント任せた映像を見ると、人間にとっては、なにかしっくりとしないものが残るような気がする。この映像は「人間的ではない」といった違和感が。

 これから人工知能が芸術の分野に普及していくにつれて、人間の生み出してきた芸術の、身体論的な影響の分析が始まるのかな、と、そんなことを思います。

 人工知能にしろ何にしろ、新しい技術が生まれると、同時に「人間とは何か」という存在論的な問いが、人間に対して突きつけられる。こういった現象は昔からあることだけど。

 一つ思うのは、やはり人間は、あまり何でも、アタマで考えるだけでは駄目なんじゃないのか。手足を使って、人間関係にもまれ、自分の身体を使って世界と実際に格闘するような経験をして、「体で覚える」という技能の獲得は、今後ますます必要になって来ると思う。

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