2025年 4月13日

 まだ完全に散ったわけではないけれど、強風と雨・・・それも雷を伴う大雨・・・のせいもあったのか、桜は半分ほど花びらを落としていった。それでも、山桜とか枝垂桜とか、遅めに咲く花は今が盛り。

 それに合わせて、山では新芽の季節に入ってきた。本の一週間前までは、山の風景の写真を撮っても、人に見せれば「冬景色?」と誤解されそうな感じだったけれど、もはや誰も冬の景色とは思わない程度に新しい芽が出ている。これがまたしばらく経てば、「山笑う」季節に入っていくだろう。地面に目をやれば土筆が大量に顔を出している。

 この日記で、時々、富士山の火山噴火について書いたことがあったけれど、なかなか面白い動画を見つけた。

富士山噴火シミュレーション

 富士山の噴火とは、どのような現象として発生し、どのような影響を社会に与えるのか。この動画でも手際よく解説がされているけれど、一番この動画で興味深かったのは、動画が始まってから7分ほど経ってからの部分。

 ニュース映像風の動画をシミュレーションとして製作して、富士山が火山性の地震を頻発させてから噴火に至るまでの経過を、フィクションとして描いている。

 この描写がとてもリアルで、実際に噴火が発生すれば、こういったニュース映像が流されるだろうなぁという説得力があった。と、同時に、この動画を見ている人間に対して(私の事だ)、今後、実際にあっても不思議ではない現象だと、急に身近に感じさせ、考えさせる力があった。それまではどうしても、「富士山の噴火ァ?、まあ騒ぐ人は騒ぐけれど、そんな大事は自分の生活とは無関係でしょ」と気楽に別世界の事のようにとらえて、あまりまともに考えもしていなかったけれど、こういった「実際にありそうな映像」として見せられると、自分と同じ世界の話として受け止めてしまう。

 改めて考えておくべきは、実際に噴火が起こったばあい、この動画のような影響は出ずに、案外あっさりと収束する可能性もあれば、想定をはるかに超えた事態になる事もありうると言う事だ。例えば、噴火が始まって、数日で収まると思ったが収まらず、数週間で収まると思ったら収まらず、数か月、数年経っても収まらず、数十年も噴火と火山灰をまき散らして、ついには東京を放棄して別の場所に遷都する・・・なんて事だって、絶対に無いとは言えない。何万年、何十万年という過去の歴史を振り返れば、そういった地殻変動によって、生活の場を追われた人々の事例は、いくらでもあった事だろう。

 地震なら耐震設備とか対策のしようもある。津波の対策だってできるだろう。でもさすがに、数十年、数百年、数万年という単位で襲ってくる地殻変動の影響に対しては、対策の取りようはないね。せいぜいそこから逃げるしかない。

 そんな壮大な話と比べると、以下の話は、非常にちっぽけで、どうでもいいような話に見えてくる。いや、実際の外交の場では、何とかせにゃならんと大騒ぎなんだろうけれど。

 アメリカから日本に向けて、もっとアメ車を買えと言ってきているけれど、これって、何度目だろうか。10年前にも、20年前にも、30年前にも、そんな話はあったはずだ。

 そうはいっても、年を重ねる程に、日本の社会に向いたアメ車って、どんどん数が減っている。アメリカのピックアップトラックとかバンとか、アメリカの生活様式には合っているけれど、日本では町中を走らせるだけでも苦労するだろう。だいたい、日本の車は4割が軽自動車だよ。そんな道路環境で、どでかい車を扱うなんて苦行でしかない。

 ほんの一昔前までなら、日本の道路事情にもあったアメ車があったんだけどね。フォードのフォーカスとか。でもフォードも日本では商売にならんと思ったのか撤退しちゃったし。

 だいたい、アメ車の会社自体、アメリカではなくカナダとかで車を生産している。昔ながらの、アメリカ自体に製造拠点を確立するのには、まだまだ長い時間がかかるんじゃないのかしらん。

1964 Chevy Impala Commercial

 リンクしたのはシボレーのインパラのコマーシャル。あまりの壮大さと破天荒な明るさ、楽天主義。この女性は笑顔を振りまいているけれど、撮影中は歯の根が合わなかったんじゃないのか。

 こののち、石油ショックの波に飲まれ、華やかなアメ車は過去のものになっていく。

 なんか、このコマーシャルを見ただけでも、アメ車って、基本的に、日本人の感性とは違った所で発展してきたように思えてならない。もちろん、この時代のアメ車のv8エンジンが大好きでならない、という熱烈なファンが日本にも大勢いるのは知っていますが。

 モノ作りは、やっぱり、その土地、その地域の為を思って、その地域の人々が真に求めるものを作るしかないだろう。

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