4月の始まりは雪だった。4月1日の火曜日は雪交じりの雨で、その後もやや肌寒い日が続いた。その前は初夏を思わせる高温もあったので、この気温差は体調を崩す人も多かっただろう。この低温もそろそろ終わって、以後は高温傾向が続くそうだけど。
季節がいったん後戻りしたせいか、桜は長めに花を見られるかもしれない。一気に咲いて一気に散る感じではなくなった。その一方で、山では木々の新芽が次々と出始めている。これから新緑に向けて景色は目まぐるしく変わっていくだろう。
昨年は、個人的には春の景色の進行に、気ぜわしさばかりを感じて、追い立てられるような圧迫感を感じていたけれど、今年は不思議と、落ち着いて春の訪れを愛でながら景色を眺めている。この心境の変化がどこから来ているのか判らないけれど、もしかしたら昨年よりも、生活のリズムにゆとりが回復したからかもしれない。
常に追い立てられるような生き方をしていると、季節の巡りを愛でる気持ちすら失ってしまう。特に春は、「急いで沢山の問題を片付けないといけないのに、あれも終わっていない、あれも準備すらできていない」なんて状況に身を置くと、春の目まぐるしく変わっていく季節の移り変わりにも、追い詰められるような気にさせられるようだ。
一方で、建設的に、これからいろいろ始めてみよう、という心境になると、春の景色も、自分を励ましてくれるように感じさせるから不思議なものだ。
人工知能の発達と一般への普及が進んで、実際に身の回りでも活用例が普通に見られるようになってくると、いよいよ不思議な時代になったものだと感心する事もあれば、これは意外な方向に進んでいるな、と思う事も出てくる。意外だと私が思ったのは、人工知能の普及で真っ先に消えると言われていた仕事が意外にそうではなく、人工知能では置き換えが難しいと言われていた分野にこそ普及が進んでいること。
当初、人工知能とロボットの普及で、介護職とか工場などでの作業が消えていくと言われていたけれど、こちらの方は、どうもまだまだ先みたいだ。その反面、音楽とか美術とか文章とか、またそれらを複合した映像とか、これまで人間の「創造的」と言われてきた分野に、人工知能の力量は力を発揮している。創造的、芸術的な仕事よりも、人が実際に手足を使って作業するような仕事の方が、人工知能にとっては、まだハードルは高いみたい。
これは意外だと思うとともに、案外、そういうものなのかもな、とも思った。人間が頭を使う仕事は簡単にコンピューターに模倣されるかもしれないけれど、実際に手足を使って、時間をかけて熟練の域に達するような作業は、模倣するにしても時間がかかるのかもしれない。
たぶん、これからしばらくの間、手足を使って何かを生み出していくような、泥臭い仕事に対する価値観が変わっていくのではないか。
まあそうは言っても、最終的には、そういった泥臭い作業にも、人工知能の模倣の波は来るとは思う。そういった流れで、様々な仕事に人工知能が使われるようになって、それじゃあ人間は何をするようになるかと想像すれば、「何が良いか」を考えて、決める事をするんじゃないかと思う。
例えば、人工知能に椅子を作らせるとする。デザインも人工知能に任せ、製作も任せられるようになるかもしれない。いくつか試作品も作ってくれるだろう。そうして作られた試作品を見て、試して、「全体的なデザインは、この椅子がいい。ただし、この部分の部材の長さを少し変更して、この部分は曲線を緩くして・・・」と指示を出して、「これが良い」という方向性を示す。
こういった仕事であれば、まだ人間の領域だと思うし、人工知能には手出しできないものだと思うけれど・・・違うかなぁ・・・、もしかしたら、人工知能の方から、「あなたの考えるアイデアよりも、こっちの方が良いですよ」と人間に対してダメ出しをするようになるのかしらん。
まあ、それはともかくとして、人工知能が様々な提案を大量に短期間に提示してくれる世の中になるのだったら、人間はその大量の提案から「選ぶ」立場になるし、選ぶ以上、「正しい選択」が出来るかが、人間の役割になって来る。
コンピューターや機械が、大概の事は何でもしてくれるような世の中と言うのは、人間に対して、なかなか倫理的な力を要求するのかもしれない。何が良くて、何が正しいか、それを説明できる力が求められてくる。
それはそれで、面白い世の中だと思う。
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