2025年 2月2日

 関東の冬らしい晴天が続いたが、土曜日の夜から日曜日にかけて雪が降るらしい、という予報があった。結局のところ、確かに日曜日には雪交じりの雨が降ったが積もる事は無く、そのまま雨で終わった。とはいえ、翌日の道路の凍結が怖いので、道には盛大に塩カルが撒かれている。

 雪か雨になる差は微妙なもので、牧馬には積雪は無かったけれど、少し山の上には雪景色が見えている。もうちょっと冷え込みが厳しかったら牧馬も積もっていただろう。

 なんだかテレビ局が不祥事を起こしたとかで騒ぎになっている。いろいろと問題は抱えて来ていたんだと思うけれど、こういった問題が発覚して、テレビ局の存在そのものまで揺らぐと言うのは、もうちょっと構造的な問題もあるのだろうな、と思う。

 私なんかが一番思うのは、そもそもテレビ局って、もう10年前以上から、あまり面白くなくなってきていたし、人々の関心を得る事が出来なくなっていただろう、という事。衰退はずいぶん前から始まっていたし、テレビ局の存在自体が問われる状況というのは、もうかなり前から予見されていた。

 私の印象では、不祥事を起こしたからテレビ局が衰退しているのではなく、テレビ局が衰退したから、不祥事を起こしても「でも支えて残すべきだ」という熱意がどこからも現れず、衰退しか起こらないのだろう。

 時代ん変化が、テレビには不利に働いている。やはり既存のテレビ局というのは、国民の大多数が同じ番組を見て、同じような趣味嗜好をするような時代にあった存在であって、多様な趣味嗜好に答えられるような性質は持っていない。結局、多様な趣味嗜好を満たそうとする人々は、インターネットに流れて行った。

 テレビ局にも、何か面白い事をやっていこうと努力している人々は沢山いるだろう。でも、そういった「何か面白い事」を生み出す数や勢い、スピード感は、圧倒的にインターネットの方に分がある。

 時代の変わり目って、既に権威を確立したところから始まるわけではない。だいたい、既に権威を確立した所は、いつしか挑戦し続ける事を止めて、権威を保ち続ける事だけに情熱を注ぐことになる。これは衰退が始まった証拠でもある。

 人々の興味を集めるだけの価値を創造したから、人々の支持があつまり、それが結果として権威に結び付く。価値を創造できる実力があって初めて権威が付くのであって、権威があれば実力が付くわけではない。

 テレビという、既に権威を確立した所が実力を失っている間に、他の所で実力を発揮する人々が現れ、それが新たな権威へと育っていく。今はその過程なのだろう。

 まあこれは、テレビ局を批判しても始まらない。振り返ってみて、我が身はどうだろう。何か面白い事を、人々の関心を得るような価値を創造し得ているのかどうか。

 ここで、「私には金が無いし権力も権威もない。そんな状態で新たな価値の創造なんてできない」と言っている間は、何もできないまんまだろう。

 何もないから何もできない、ではなく、何もないから何か面白い事をやろう、という創造的な熱意が、何かを生み出す原動力になっていく。今、インターネットの世界で、次々と面白い事をやり出す人が増えているのは、インターネットの世界が、何かをやりだすのに、手っ取り早く、それほどお金や準備がいらないからだろう。そんな敷居の低さが、「なにも無いけれど、とりあえず何かやってみよう」という人々に活動の場を与えている。

 商売するにしても、何かをするにしても、そんな気軽なフットワークの良さが、これから重要になっていくんだろうな。

 あー、ただ、いくらフットワーク軽く「何か面白い事をしよう」とは言っても、政府が言い出した「楽しい国にする」という発言は、どうなんだ。最初、これを聞いたときは脱力感しか感じなかったのは何故なんだろう。

 まあ、「やってみてください」としか言えないが。

 自分自身としても、常に、何か価値を生み出せる存在でありたいとは思う。決して大げさな意味ではなく、とりあえず、「何もないから何もできない」という人間ではなく、「何もないから何かをしよう」という気持ちは、無くしたくないものだ。

 こういうのって、年齢と共に衰えていくものなのだろうか。

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