2024年 12月29日

 今年最後の投稿になる。今年は元旦早々に大地震があったり航空機の事故があったりと、心穏やかにはいかない年明けだったが、年末になって立て続けに航空機事故があったりと、最後まで気が抜けない。まさか大晦日に大地震でも起こるのではあるまいな・・・と不謹慎かつ不吉な想像をしてしまうが、普通に考えれば、絶対に無い話はないのだ。実際、このところ妙に小さめの地震は頻発しているし。

 今年はこの日記でも度々気候変動について書いてきたけれど、その一例として、毎年どこかで集中豪雨で被害を受けるのは、もはや異常気象ではなく、平常の気象になってしまったように思える。たぶんこれから毎年のように、ゲリラ豪雨とか線状降水帯とかいった言葉が出て来ては、大雨で水没した車とかの画像を目にするようになるのだろう。そして、そのような現象を前提とした都市造りを考えて行かなければならなくなってるのだろう。

 来年は大阪で万博をするそうだけど、あまり前売り券が売れてないそうだ。期間は4月から10月までだそうだけど、これがここ数年の猛暑になったら、けっこう恐ろしい事になるんじゃないかな。万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」となっているが、猛暑の対策をしないと、会場が地獄絵図になってしまって、暗黒の未来を顕現させかねない。

 これがなぁ、会場の建築物が、夏でも大したエネルギーを使わなくても涼しく快適な環境が得られる建物とかだったら、それこそ未来を感じる事もできるのだけど、そのあたり、どうなっているのだろう。

 私は、万博と言われても、行く気ににはならないなぁ。これがテーマが食で、会場に行けば世界各国の食事が楽しめるとかだったら、それこそ食指が動くが。

 これは半分は冗談だけど、半分は「案外良いかも」とも思っている。何か世界全体で起こっている問題を解決するのに、世界全体から知恵を結集して相談しようとする場合、まずは会議の前に、参加者が食事を一品ずつ持ってきて、それらを食べながら宴会をしてみると面白い。ウルグアイの食べ物、エストニアの食べ物、カザフスタンの食べ物、エクアドルの食べ物、それぞれの郷土料理をつつきながら、「美味いなぁ」と和気あいあいと歓談しながらうちとける時間を設ければ、自然と良いアイデアも湧いてくるのではないか。まあ、中には宗教上の理由があって「その料理は食べらない」とか、いろいろと難しい事も出て来るとは思うが。

 以前は、ちょっと対立が続いて険悪な関係が続いた国同士を、再び緊張を解いて交流を再開させるのにスポーツが使われる事があったけれど、「食」だって結構いけると思う。古臭い考えと思われるかもしれないけれど、同じ釜の飯を食った仲間、というのは、確かにあるんじゃないのか。

 古来から、人々の心をまとめて、人々の心を前向きに明るくしていくために、「祭り」を行って来たわけだけど、考えてみれば、万博も上手くやれば「祭り」になっていかかもしれない。しかし、もはや今では、祭りからはかなり遠い所にある。

 話は少し大げさになるけれど、どういう偶然か、釈迦も孔子もソクラテスも、後に人類の教師と呼ばれるような人々が、洋の東西を問わずに同時期に登場している。たぶんこれは、世界の文明が進んで、始めは小さな村に住んでいた人々が、次第に国を作るようになり、人々の心をどうまとめていくかについて、真剣に悩んで解決法を考えざるを得ない立場に立たされたからだと私は思う。

 もしかしたら、これからは国を越えた問題を解決しなければならなくなった時に、昔と同じ現象が起きるかもしれない。つまり、釈迦や孔子やソクラテスが同時期に登場したように、世界全体の問題を解決するためん、人々をまとめる手法や考え方を提唱する知者が、同時多発的に世界各国に現れるとか。

 というか、私が知らないだけで、既にそういった集まりがあるのかもしれないな。

 むしのいい願いかもしれないが、来年はもう少し、心穏やかに暮らせる年になってほしいものだと思う。

 年内の仕事は、どうにかやりとげ、私自身は、少し山に入って、家の周辺の雑木とかを伐って、家の周りをすっきりさせている。こういう作業は、少しまとまった休暇がないと手に着かない。

 鉈やらチェーンソーで雑木を片付けていると、少しは気持ちが落ち着いてくる。やはり、何か建設的な事をしていると、精神の健康にもいいのだろう。

 

0コメント

  • 1000 / 1000