2024年 12月22日

 冬至を過ぎた。これから陽は伸びていくが、寒さはむしろこれからが本番。これまでこの日記で、たびたび「なかなか冬になりきらない、秋が終わらない」と書いてきたが、ようやく完全に冬になったように感じる。冬至の昨日は少し暖かい空気が流れてきたが、その翌日は一転して季節風が吹き荒れる日になった。晴天はしばらく続くらしい。

 自分が参加している田んぼの仲間で餅つきをした。なんか今年は力のある男手が多くて楽だった。参加者全員分の餅をつこうと思ったら、なかなかの大仕事になって、最後には杵を持つ手も疲れてくるが、今年は「私がつきましょう」と杵をすすんで持ってくれる人が多くて助かった。そういえば、子供たちも積極的に参加していたな。

 餅つきって、杵を振るいながら臼をつく印象が強いと思うけれど、実際にやってみると、杵を振るう前に、杵を蒸したもち米に押し当ててぐりぐりと米粒をつぶす作業の方が重要になる。米粒をつぶす作業が6割で、杵を振るう作業は4割くらいと考えてもいい。こういった事は、実体験がないと判らないよね。

 上の写真では、杵を持った人が、杵を高く振り上げているけれど、本当はそこまで振り上げる必要はない。まあテレビの番組とか、漫画や映像作品で流れるイメージは、杵を高く振り上げがちだけど。

 この動画の説明はけっこう丁寧だな。道具の使用前、使用後の管理の仕方まできちんと網羅している。

 今年は今年で、いろいろ思う所もあった。その中には、気候変動について、いよいよ無視できないほどに顕在してきたかな、と実感してきた事もあるし、ここらでもう一度、世の中全体で人間性とか倫理について考える必要があるんじゃないかな、という思いもある。

 後者に関しては以前、ここの日記でも何度か書いてきた。世の中には成功を続ける組織もあれば、いくら努力を続けてもなかなか成功しない組織もある。失敗ばかりを続けて破局を迎える組織もある。

 これには運不運もあるが、やはり考えるべきは、合理的な理由を考えて、正しく対策を講じて実践する事だろう。その対策の一つに、組織全体の人間性をどうやって向上させていくかの問題が、これからは重要になってくるように思えてならない。

 いろんな性格や個性を持った人がいる。長所もあれば欠点もある。その人に向いた仕事の向き不向きもある。そんな人間集団を束ねて、力を発揮させて、良い結果を出そうと思えば、組織内の人間性に、高い次元の倫理観が必要になると私は考えている。

 倫理観なんて言葉を使うと奇異な感じを受けるかもしれない。組織、それも資本主義社会の企業のような組織は、実力のある人が高い給料をもらうように設定されれば、自動的に人々は努力するし、結果的にそれぞれの実力は発揮され、倫理観なんてなくても企業は発展するように思えるかもしれない。

 ただ、組織は時に、未来の方向性を決定しなければならない時がある。未来に限らず、何かを決断しなければならない時がある。何が正しい道で、何が間違った道なのか。

 組織に参加している人々は、それぞれの持論を持っている。ある人は「とっちが正しい」と言い、ある人は「あっちが正しい」と言う。ただここで問題になるのは、このような「持論」は、いずれも近視眼的であるという事だ。

 人それぞれ個性があるので、その人の個性にあった「正しさ」に引きずられる。時間をかけてもいいから慎重に考えて決断する人もいれば、少々の間違いはあっても、とにかくスピード優先で決断した方が結果は良い、と考える人もいるだろう。当然、この両者は対立する。ではこの対立を解消させて、組織全体を正しい道へと導くにはどうしたらいいのか。

 どうも私には、この領域になると、従来の、金と権力と欲望があれば、人々も組織も自動的に上手く行くかのような、資本主義の考え方の限界を超えていると思う。

 一つ思うのは、誰からも尊敬されうる、謙虚な長老的人格の必要性だ。私が組織には人間性や倫理観が重要になるだろうと思う理由は、この点にある。

 様々な個性や、様々な欲望の持主の気持ちを全て受け止めて、一つの道を指し示す役割を担う人は、謙虚でなければならない。

 私がこの組織で一番偉いんだから、私のいう事だけを聞いてればいいんだ、と言って強行を続ければ、正しい道を選ぶか誤るかも運次第になり、正しい道を選ぶ事もあるだろうが、間違った道を選んで失敗した時は、その人は開き直るか、結果を無視するか、「今回は上手くいかなかったが、次回は上手く行くはず」と強行を続けるか、いずれにしろ組織内の人間の心はバラバラに離れていく。

 様々な人々から、共通して尊敬されうる人間性と言うものは、どのようなものなのか。そんな人がこれから、必要になっていくのではないか。

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