2024年 12月15日

 12月も前半が終わる。これからいよいよ年の瀬になっていく。馴染みの雑貨屋から来年のカレンダーをもらったり。朝晩の冷え込みも厳しくなってきた。

 ただ、やはりと言うか、どうにも冬になり切れない部分が残っている。この日記でもここまで数回「だいぶ冬らしくなってきた」という言葉を書いてきているけれど、それは裏を返せば、なかなか秋が終わらない、という意味でもある。山の落葉樹の木々もまだ1割くらいは葉が残っているし、先週頃まではモミジが鮮やかな赤色に輝いていた。

 私の記憶では、こういった光景は11月中には終わりを告げて、12月にもなれば秋の気配はほとんど見られなくなるものだったんだけどな。そんな事を思っていたら、こんな記事を見かけた。

最近の秋は短すぎ?

 この記事でも12月の前半は秋らしくなっていると書かれている。一か月は冬の始まりが遅くなっているのかもしれない。もしかしたら、いずれ日本の気候は、2月から4月までが春で、5月から9月までが夏で、10月から12月までが秋で、冬は1月だけ、なんて感じになるのかな。

 その一方で、これはいかにも冬らしい、それも関東の冬らしいと思わせる気候も存在している。それは連日深い青空の晴天が続くことだ。雨もほとんど降らない。ここ最近で、最後に雨が降ったのはいつだったろうか。

 寒くなると暖かい布団で寝るのが極楽になるが、晴天が続くと布団を干すのに非常に有難い。あと今年はどういうわけか、干した布団にカメムシがついたまま布団を取り込み、その布団で寝る時に悲惨なことになる・・・という被害が無い。昨年ほどのカメムシの大発生はしていないのだろうか。

 関東の冬らしい雨の降らない日々だけど、道路には時々、塩カルを撒かれる。こう乾燥が続くと、いくら寒くても路面の凍結はしないものだが、それでも谷筋の道とか、橋の上とかは凍るからな。雪でも降ればまた事情は変わって来るが。

 この日記でも以前、温暖化したためにかえってドカ雪が降る可能性があるらしい、という事は書いてきた。気候変動の結果、ゲリラ豪雨ならぬゲリラ豪雪と言う言葉も目にするようになるのではないか、とも。

 その流れで、最近、「雪の線状降水帯」という言葉を目にした。なるほど、そういう事もあるのかもしれないな。

 線状降水帯は、まるでその線の上だけ、親の仇のように雲が湧いては大雨を降らせ続けるけれど、同じことが雪でも起こるかもしれない。藤野でも何年か前、地元の古老でも「こんなのは見たことが無い」と驚かせるような豪雪が降った事がある。牧馬でも1メートルほど積もって3~4日ほど家から出られなくて買い物にも行けなかったが、あの時も、そんな「雪の線状降水帯」みたいな状況が発生してたのかな。

 それにしても、そろそろこの一年を振り返るような時期だけど、この日記で言えば、気候変動についてかなり書き続けていたと思う。私自身の関心がそこにあるからだけど、なんか今年は、いよいよ気候変動が現実のものとなり、無視できない環境の変化を引き起こしつつあるな、と認識をさせられた年だったと思う。

 それまでは、学術の分野でもマスコミの情報でも、気候変動の危険性は訴え続けていても、大雨とか酷暑があっても、「気候変動の影響とは断言できない」という姿勢だったように感じていたが、今年辺りから、気候変動は始まった、という認識を普通に言うようになった。

 これから、温室効果ガスの排出抑制も、更にすすめられるのだろうな。まあただでさえ、灯油やガソリンの価格高騰は激しすぎて、言われずとも石油は使いたくないが、冬になっちゃな。

 朝晩は、あちこちの家から、薪ストーブの煙が立ち上っている。薪の利用は、山の木々が持続的に育っている範囲の利用であれば、温室効果ガスの排出はしていない理屈になる。

 どうだろう、これから薪の利用は進むのだろうか。例えば、街路樹などを定期的に剪定する際に、大量の枝葉がゴミになるが、基本、そういったゴミはわざわざ石油で燃やされて処理される。

 かといって、そのような枝葉を燃料にすればいい、という人もいるかもしれないが、いざ燃料にしようと思ったら、きっちりと乾燥させないといけないし、なかなか手間だ。そんな手間を解消する技術って、これからうまれるのだろうか。

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