まだ晩秋の気配の方が強いが、徐々に冬らしくなってきた。夏が暑かったせいか、晩秋になっても温暖な日が続いたせいか、紅葉が終わるのが遅めだったけれど、さすがに毎朝のように霜がおりるようになると、落葉も加速していく。今でもしぶとく葉を茂らせているのは、桑の木ぐらいになってきた。この木は不思議と寒くなっても、なかなか葉を落とさない。それでも、今はだいぶ黄色く枯れてきた。桑の落葉が終わる頃には、辺りはすっかり冬景色になっているだろう。今日は、この季節最初の、道路に塩カルが撒かれた。
上越の国境とか日本海側とか、雪になっているらしい。暖冬だと、いつまでたってもスキー場に雪が積もらなくて気の毒な話になるが、この冬は大丈夫だろうか。
昨日は篠原の里ですすはらい。やはりこの時期になると年末らしい行事が増えて来る。大掃除もそうだけど、この機会に一気に断捨離をする所も多い。いろいろと「いつかは使うかもしれない」とため込んでいるものも、結局使う事は無いなぁと思い当たり、捨てるか、人に譲るかしている。
以前、ある工場で、既に使わなくなって久しい機械を見たことがあるけれど、既に錆がまわっていて動きにくくなっていた。その会社の社長は、その機械を、いつかは使うかもしれない、と残していたが、もはや中古品として売る事も出来ない。もっと早く見切りをつけていれば良かったが、今は負の遺産になっている。
モノを持つのは勝手だが、これからは、所有しているモノが、自分にとって、筋肉になっているのか、ぜい肉になっているのか、よくよく考える必要があると思う。この世の中、人の数には限りがある、時間にも限りがある、資源やお金にも限りがある。それぞれを組み合わせて最大限の力を発揮させようと思うのなら、ぜい肉を養う余裕なんてないはずだ。
話はちょっとずれるけれど、ここ数か月、何の因果か、人の愚痴の聞き役になる事が多かった。ある人は職場の不平不満、ある人は人間関係の不和、ある人は体調不良とか、思うようにいかない日々についての愚痴。
当初、私としては、親身になってその愚痴に付き合い、相談にのって、自分なりに最良と思えるような提案をしたり励ましたりしてきたが、だんだん、気持ちが変わってきた。
その時は愚痴を言っている人の中で、しばらくすると自分で解決法を見つけて、再び元気よく立ち上がっていく人もいるけれど、結局その多くは、愚痴を吐く事はしても自ら立ち上がろうとはしない人の方が多かった。そして、「あんた、その愚痴、去年も同じことを言ってたよね」という事も多かった。
何より、愚痴って、受け止める方もなかなか神経が折れる。愚痴を吐きだす人って、自分の抱えたストレスを、愚痴を聞いてくれる人にぶつけてストレスを解消している所がある。
だんだん、これは付き合う必要がないな、と思うようになり、今さらながらだけど、愚痴を吐く人に対しては、あまり近寄らないか、その愚痴に対して親身になって受け止めずに流すかしている。
またこれは、それほど数多くやる事じゃないけれど、愚痴を吐く人と不幸にも同席してしまった場合、「大丈夫、君には克服できる力がある、ぜひ実行したまえ」と内心ではあまり心はこもっていないのだが、不必要に明るく励ますことがある。「大丈夫、気合で乗り切れる、根性さえあればなんとでもなる」。自分でも言ってて、心がこもっていない。たぶん、相手も馬鹿にされていると思っていたかもしれない。
ただねえ、そりゃあ人間だから不満も不安もあるだろうし、愚痴を言いたくなることもあるかもしれないけれど、愚痴なんて5分も言ったら「ハイ、これでおしまい」と決めて、心を入れ替えるくらいが一番いいと思っている。一日24時間、愚痴を垂れ流すなんて、もう「終わっている」としか思えない。
私自身は、本来、気合とか根性で事態を打開するような精神主義なんて、最も嫌いなものだったけれど、愚痴に自分が支配されそうになった時は、手をパンと叩いて、「ハイこれでおしまい」と、気持ちの切り替えをしなければならないと思うし、そのためにはやはり気合と根性が必要だとも思う。
こんな動画を見て笑えた。
いろいろと気落ちする話も聞かされるが、最後は、気合で乗り切るしかないんじゃないかと思っている。もちろん、直面した問題に対しては、合理的な解を見出して、建設的に取り組む・・・というのが正道なのは間違いないのだけど。
それでも、最後の最後は、やはり気合なんじゃなかろうか。この動画、少し速度を早めに再生するのが好みです。
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