2024年 11月10日

 11月も半ばになり、急に朝晩は冷え込んできた。先日は篠原で霜が降りたと言う。冷え込みが進む夜は、窓から冷気がじわじわと染み込んでくる。そろそろ、小型の電気ストーブではなく、石油ストーブの出番かなと思った。それに、車のタイヤ交換も考える時期に来ている。

 かつてに比べると、雪も路面凍結も少なくなった藤野だが、それでもいざ雪が降ると、普通のタイヤじゃ太刀打ちできない。年に2~3回使うためだけに冬タイヤにするのも、なんか馬鹿らしく、もったいないような気がしてくる。近年になって、スタッドレスタイヤほどの雪道や凍結路に対する強さは無いが、そこそこ雪道でも使用可能なオールシーズンタイヤが関心を寄せられるようになってきた。それも選択肢の一つだとは思うけれど、雪道には何とか使えても、アイスバーンのような、固く凍結した路面には使えないと思う。

 そのあたりが、オールシーズンタイヤでも良しとするか、やはりスタッドレスに決めるかの境界になるだろうな・・・と思ってたら、今年になってダンロップが、凍結路にも対応可能なオールシーズンタイヤを出してきたとか。まあそれでも、本格的な雪道にはスタッドレスを推奨するとダンロップ自身が言っている。

 そうなると、ますます迷うようになるな。藤野の冬のタイヤ事情も、これからは変わって来るかもしれない。

 ただ、温暖化だから雪が減る、という単純なものでもないらしい。逆に、温暖化したためにドカ雪が降る、という事もあるらしい。雪を降らせるには当然、雪の原料となる湿気が必要になる。温暖化の進行で海水温が上がって大量の湿気の供給が出来て、それが大量の積雪に繋がる事もあるのだろうか。

 もう10年位前になるだろうか。山梨県を中心とした地域に、とんでもない大雪を降らせたことがある。それも同じ2月中に2度も。藤野でも1メートルも積もって、こんな雪は見たことが無い、と地元の古老も驚いていた。あの雪も、もしかしたら温暖化が招いた大雪だったのかもしれない。

 気候変動って、単に平均気温が上昇するだけでなく、気象の現象が極端になる傾向がある。強風やら大雨やら特大の雹が降ってきたりとか。同じ事が雪にも現れるかもしれない。そういえば以前、この日記で、ゲリラ豪雨ならぬゲリラ豪雪、なんて言葉が生まれないかな、と書いたことがあった。今、試みに検索してみたら、既にずいぶん前から使われていた言葉らしい。以下の文書は国土交通省のものだけど、少なくとも10年くらい前から、ゲリラ豪雪と言う言葉は使われていて、そのような現象の多発は認識したいるみたい。

[PDF]雪寒対策の進め方 - 国土交通省

 この言葉が、テレビや新聞や週刊誌でも日常的に使われるような時代が来るのだろうか。

 豪雪に慣れない地域に豪雪が降ると、その地域は豪雪を想定した建物のつくりをしていないために、思わぬ被害を被る事がある。前述の、藤野でも1メートルもの雪が降った時は、人が住まなくなって久しい旧家の屋根が壊れる事例が多かった。また、金属のフレームで出来た駐車場の屋根も、ずいぶん壊されていた。まあ、あれは仕方がない。誰も1メートルの雪なんて考えもしなかったから。

 そう考えると、大雪にしろ、大雨にしろ、強風にしろ、構造的な弱さをもった家を破壊する方向に力が働く。当然と言えば当然なんだけど、住宅の自然淘汰の流れを見るようで、なかなか恐ろしい。これからの気候変動で、残りやすい家の形が決まってくるだろうし、残ることが出来ずに消えていく家もでてくるだろう。

 そんな時代、やはり頼りになる家というのは、デザイン優先で華美に飾ったような家ではなく、素朴ではあっても質実剛健な家という事になると思う。今の住宅メーカーって、そのあたり、どう考えているのだろうか。

 話は全然変わるんですけどね、選挙で与党が負けたとか、アメリカでトランプが勝ったとか、いろいろと報じられているけれど、なんか私には、世界全体で質実剛健な素朴さを求めているんじゃないかと思った。もうね、浮ついた理屈よりも、生活を見てくれ、という素朴な民衆の叫び。これまで政治って、なかなかそういった素朴な叫びの受け皿にならなかったからな。

 私としては、政治が浮ついた理屈よりも、生活者の視線に立って素朴さを取り戻す事自体は良い事だと思っている。ただ、気がかりがあるとしたら、気候変動の対策に対しては、後退しちゃうかなぁという心配がある。

 二酸化炭素を減らすとか、そんな事よりも生活の問題を考えろ、と言われた時、民衆を説得するのは簡単じゃないだろう。

0コメント

  • 1000 / 1000