前回の日記で、「ぐるっとお散歩篠原展」について書いたけれど、このイベントにギリギリで間に合った事柄に、「篠原の里」(旧篠原小学校)の裏側の斜面の補強工事が終わった事がある。上の写真はぐるっとお散歩篠原展の時のものだけど、会場の篠原の里の奥の方に、格子状の斜面が見えるが、これが補強の終わった場所。どうやら斜面全体をコンクリートで塗り固めるのではなく、格子の中は土の状態で、これから植物が生えていくらしい。こういう補強工事もあるんだね。草木が生えてきたら、より景色になじんでくるはずだ。
これで、篠原の里は災害時の避難場所として、堂々と名乗る事ができるようになる。これまで、篠原の里は避難場所には指定されずに、正式な避難地は南小学校だった。
この補強工事、イベントが始まる前々日まで、会場の敷地の半分は重機や資材が置かれていた。それらが片付けられたのはイベントの会場作りが始まる前日だったそうな。
正式に避難場所として市から認められるようになった場合、何か変わるだろうか。想像されるのは、災害時の為に保管しておく備品の種類が増えるかなぁ、という事。まあこれは、どうなるかは判らないけれど、かつて市からは、篠原の里は正式な避難場所ではないので、食料品などいくつかの備品は保管を認めてもらえなかった経緯がある。それが今後、拡充されるかどうか。
とはいえ、災害時に避難場所に行く際に、食料は自前で用意するのが基本なのだけど。
昨日は、自分が参加している田んぼで稲刈りがあった。まあまあ豊作だと思う。それにしても、この稲刈りの日は10月にしては異様に暑い日で、自分としても、稲刈りで大汗をかくなんて、これまで記憶にない。やっぱり変な天候だね。まだ海の温度が高いのか、空気にはいくらでも湿気の供給があるかのような湿り気を感じる。
この田んぼでは、はざ掛けをする。田んぼに横棒を人の背丈くらいの高さに掲げて、そこに刈った稲穂を掛けて、天日に当てて乾燥させる。数年前は、はさ掛けした稲穂に網をかけて、雀に食べられるのを防いでいたのだが、昨年あたりから網をかけなくなった。あまり、雀の害がないからだ。なんか不思議な現象だなぁと思ってたけど、最近、全国的に雀が減少しているというニュースがあった。もしかして、これから雀が絶滅危惧種になるのだろうか。稲を育てる側からしたら有難い話かもしれないが、自然界が異様な変化を始めているようで心配でもある。原因はなんだろうか。
これは数年前から顕著になっているけれど、自然界が今までにない様相を見せ始めて、それに驚かされる事例が増えている。いつもと同じ四季、いつもと同じ動植物といった安心感がぐらついてきた。それに換わって四季らしからぬ四季と、例年ではありえない動植物の振る舞いが当たり前になって来る。
どこかで、落ち着きを取り戻せばいいかと願っているが、いや、もう覚悟を決める時期になっているな、とも思う。
それにしても、世間は選挙の季節に入っているようだけど、気候変動に関する議論が盛り上がっていないのは、どういうわけだ。これは、何も政党や政治家だけが悪いのではない。日本人全体に、この問題に対する無関心が甚だしい傾向がある。・・・というか、この問題に対して、私が神経質すぎるだけだろうか。
ただ、日本の政治や日本人がこの問題に無関心でも、世界の標準は、これからも気候変動に対して積極的に向き合うのが当たり前になっていくだろう。脱炭素の取り組みも、その流れに乗らないと商品を作っても海外に輸出できなくなるような事態は、もう始まりつつある。
もう一つ、これからの新しい流れの一つになるだろうなぁと私が実感しているのが、言葉の壁が無くなっていく未来について。
一昔前のパソコンの翻訳ソフトなんかは、実際に使ってみると、「まだまだだなぁ」と思う事が多かったけれど、今ではネット上の外国語が、勝手に翻訳されて日本に入って来る。それも、ほとんど違和感がないくらい、くだけた表現も巧みに織り交ぜて。
これは今、適当に探してみた一例だけど、ギターの編曲と演奏を披露している動画に、いろんな方々がコメントを寄せている。
TOTO - Africa - Acoustic Guitar Cover - Arranged by Kent Nishimura
そのコメントの多くは英語だけど、他の動画ではロシア語やアラビア語やインドネシア語も出てくる。それらがすべて、その場で翻訳可能。
昔だったらお金を出さなければできなかったような翻訳作業が、今ではただ同然で十分に信頼できるものが得られる。いずれは、同時通訳も同じ現象が現れるだろう。
こんな時代の流れが、どんな変化をもたらすか。どうもこのところ、内向きになっている(ように私には見える)日本にとって、改めて世界に関心を持ち始める契機になるのか。
それとも、余計に内向きになるのだろうか。
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