2024年 8月25日

 篠原で祭りがあった。藤野や津久井周辺では7月下旬ころからあちこちで地域の祭りが始まるが、篠原はその中でも夏の終わりころに行われる。この日もなかなか暑い日だったが、午後も数時間が過ぎると、どこか秋を感じさせる風も吹いた。

 牧馬の祭りも篠原の祭りと同じ日に行われる。もっとも、牧馬の祭りは「祭り」と呼ぶにはふさわしくないくらい、ささやかなものだ。何しろ人口が少なすぎる。神輿はあるけれど担いで集落を回れるような人員はいないので、神輿が保管されている倉庫の扉を開けてお神酒をささげ、そのあたりの草を刈って綺麗にして、そこにゴザを敷いて集落の人間で会食をする。牧馬の場合、祭りと言ってもその程度のものだ。

 ただ今年は、神輿のある倉庫の周りの草刈りとかはしたけれど、会食は倉庫の近くでは行わなかった。このところのいつもの天気なのだけど、この暑さで雲が次々に湧いては雷雨を降らせる。うまく雷雲が牧馬を避けてくれる可能性もないではないが、こんな天気では落ち着いて会食なんかできやしない。そこで、牧馬のあるお宅の家を借りて、会食の場とさせてもらった。

 結局、会食の間じゅう雷雨が来る事はとうとう無かったのだけど、それでも、今回は屋外で会食をしないで良かったと思う。いくら会食の場が木陰とはいえ、なかなか厳しい暑さのために、お年寄りには体調に良くなかったと思う。

 結局、冷房の効いた屋内での食事会になったけれど、そのおかげで、参加者が落ち着いて会話に興じる事ができたと思う。牧馬みたいな人口の少ない集落でも、なかなか地域の人間が一堂に揃うという事はない。こんな時に、牧馬の昔の話とか、畑の育て方とか、味噌や豆腐の作り方とか、昔ながらの文化について話を聞く機会がある。そんな昔の話を聞くたびに、昔の人間はたくましかったんだなァと感心させられる。

 あと、やはりこの場でも、近年の暑さについては話が出た。そりゃあそうだ、地元の古老でもない、まだ牧馬に来て20年余りの私だって、この気候の変化については身に染みて実感している。あるお年寄りは、これまで牧馬だったら、そりゃあ昼間は暑くなっても、陽が沈めば涼しくなって寝苦しいなんてことは無かったのに、とうとう冷房を導入する事にした、という。そうだよなあ、昔は牧馬には熱帯夜なんて無かったよ。

 この祭りの日も、あちこちでポコポコと雷雲が沸き上がっては雨を降らせたが、こんな気候も、かつては8月下旬の天気ではなかった。お盆を過ぎた頃からは、だいたい天気は安定して、雲が湧くことはあっても雨にはならないのが普通だったが。

 どこかの科学者が昨年だったか、地球は沸騰しつつある、と言っていた。おそらく、そう表現するに足るだけの状況が現れているのだろう。海の水が暖かくなって勢いよく蒸発しては湿った空気を大量生産し、それが各地に雷雲を作っては大雨を降らせる。そう考えると、沸き上がる入道雲の光景も、鍋のお湯がぐつぐつと沸いている光景にも見えなくもない。

 ニュースで2100年の天気予報というものを見たが、日本各地で最高気温が40度を超えていた。もちろん、遊び半分で作ったものではなく、そうなる可能性が十分にあるという研究結果からの発表だろう。

 理想は、そのような世の中にならないための対策を講じることだけど、同時並行として、そのような世の中になった場合でも耐えられる社会の在り方を作る必要にも迫られる。人の暮らし、農業の在り方、すべてすっかり変わってしまうのではないか。おまけに、ゲリラ豪雨が多発するようになると、それまで大雨の被害の心配をしなくても済んだ所も、無事ではなくなってくる。大雨が降り続ける結果、地形が変わってしまうかもしれない。

 そんな荒れた天候の世界へと突入するとともに、人口減少社会も進んでいく。これは日本だけの傾向ではないかもしれない。これから、少なくなっていく人々が、荒れていく世の中への対応をしていかなければならなくなってくる。これは、未来の世代に対して、なんとも申し訳ないい気持ちにもなってくる。

  もっとも、逆に考えれば、人口が減る世の中にも利点はあるかもしれない。人口が多い社会だと、あまり人が住むのには不向きな土地にもむりやり人を住まわせないといけなくなるが、人が少なくなると、その無理も無くなって来る。

 たぶん、これから「撤退戦」になるのだと思うな。荒れる気候の脅威から、少しずつ少しでも暮らしやすい所へと、人々が逃げていく。そして、無理に無理を重ねて作ったような都市は放棄されていく。

 それは悲劇ではあるのだけど、案外「正常化」への道筋とも思える。少なくとも、その頃の人間は、今よりもちょっと、自然界に対して、謙虚さを身に付けているのではないか。

 

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