金曜日に台風の通過があった。千葉県の東の海上を北上して行ったが、当初、気象庁やマスコミはかなり甚大な被害がでるのではないかと伝えていた。風も強く、大雨を降らせると。
実際は、藤野に関しては、雨もそれほど降らず、風もそこまで吹かなかった。千葉県や茨城県はどうだったかはわからないけれど。台風一過の後でも、普通だったら道路上には風邪で飛ばされた枝や葉っぱが散乱しているはずだけど、これもほとんど無く、道志川も増水しなかった。沢から溢れた水が道路に流れ込むことも無く、正直、かなり拍子抜けした感じはある。
ただ、深刻な災害をもたらす台風になりかねない可能性は、確かに予想されていたのだろう。そう心配する理由の一つに、海の水の温度が高いことがあるらしいい。この海水の温度の高さが、台風に常に力を与え続け、衰えさせないのだとか。そういえばこの台風、日本の北東の海上に進んでもなかなか熱帯低気圧にならなかった。けっこう高緯度に進んでも台風としての勢力を保っていた。
台風の発生場所も、わりと日本の近海だった。普通だったらもっと赤道近くで発生して、ゆっくりと日本へと向かってくる感じのはずが、日本とそれほど離れていない場所で台風が次々とポコポコ生まれては過ぎていく。
このあたりの現象も、気候変動の現われなのだろう。
海の温度が高くなっていると言う話に、私はこの現象の深刻な根深さを感じている。おそらく海は、地球の平均気温が急激に暖かく成ったり寒くなったりする際に、その影響を和らげる役目があったと思う。空気や地表に比べて、海は急激には温まりにくく冷めにくい。たぶん、地球温暖化はずっと前から始めってはいたが、海の冷たさがその温暖化にブレーキをかける作用を果たしていたのではないか。
水の入っているコップに氷がある間は、コップの中の水は冷たい温度を維持し続けてくれる。それが、氷が解け切ってしまうと、温度を維持することはできなくなり、水の温度は上昇を始める。これまで、海はそのコップの氷のようなものだったのかもしれない。しかし、今では海の温度も上昇しつつある。
今後も、今まで経験したことがないような気象の現象が現れてくるのだろう。
まあとりあえず、今年の夏の暑さは峠を越えたのかもしれない、これまで週間天気予報を見ると、連日35度以上の最高気温の予想が並んでて、数字をみるだけで重苦しい感じになったが、これからは連日33度以上程度の暑さが続くらしい。もちろん、これだって相当な暑さだけど、最近報道で言われる「災害的な暑さ」とか「生命の危険性がある暑さ」とか「命を守る行動をするべき暑さ」からは、少し離れたと思う。あと「不要不急の外出を控える暑さ」というのもあったっけ。
藤野のススキは、1割から2割ほど、穂を出し始めている。これが山中湖のような富士山麓の高原に行くと、ほとんどのススキで穂を出していた。これが、藤野の2~3週間後の光景になるのだろう。
以前ここの日記で、気候変動が更に進んで猛暑が酷くなると、人々は高原の別荘に夏の間は暮らして、在宅勤務で都市と通信しながら仕事をするようになるんじゃないかと書いた。そんな気持ちで高原を旅すると、高原の別荘地も違った目で見えてくる。
気候が変わっていくと、もしかしたら聖地の都市部で暮らせなくなるのは、何も夏だけではなくなるかもしれない。例えば、温暖化が更に進めば、夏の暑さが酷くなるのと同様に、冬が寒くなくなるだろう。真冬でも蚊が成虫のまま越冬して飛び交う気候になれば、東京でもマラリアの流行を心配しなければならなくなる。
そんな世の中になってしまうと、高原に避暑に行くというより、「疎開」に行くという感じになってくるな。
心配性の笑い話のような空想かもしれない。でもだんだんと、人々が暑さに追われ、生活の場を移しざるをえない危険性について、個人的にはどうしても考えてしまう。多分これは、子供の頃に見たテレビの影響だろう。「宇宙戦艦ヤマト」なんて、地上では暮らせなくなった人々が地下で暮らしている光景が出てくる。
心配性の笑い話ならそれでいい。ただ、世界の猛暑のニュースを見ると、時々、そんなテレビや漫画の世界が意外と近くに来ているんじゃないかと思うことがある。最近、中国の都市で、あまりの暑さに自宅にいることが耐えられずに、地下鉄とか地下街に逃げ込んで座り込んでいる市民の姿を映した写真があった。
地下に逃げ込む市民の姿なんて、もはや漫画の世界だろう。
0コメント