暑い日々が続く。普通、暑い夏の場合は、太平洋高気圧が安定して、いくら暑くなっても夕立は起こりにくくなるのだけど、今年は入道雲が沸き上がっては雷雨を降らせる状況が続いた。こんな毎日だと、うっかり洗濯物や布団を干したまま外出するのも恐ろしくなる。
お盆休みに入り、私も近くの寺に墓参りに行った。墓の周囲の草をむしって墓石を洗い、花を供えてキンキンに冷えたビールをそそぐ。こんな暑い夏だと日本酒よりもビールの方が有難いだろう。近場の墓参りだったけれど、こんな作業だけで午前中を使う。けっこう大汗をかいた。これでは墓参りだけでも熱中症になりかねない。
九州で大きな地震があり、これは南海トラフ地震と関連があるのではないかと警戒が始まった。間をさほど空けずに神奈川でも少し大きめの地震が起こり、藤野でもそこそこ揺れた。神奈川の地震が九州の地震や南海トラフ地震と関連があるかは判らないけれど、地面は繋がっているから、どこかで地震が起きてひずみが出来れば、そのひずみを解消しようと他の場所で地震が発生することは、おおいにありうるのだろう。
南海トラフ地震への警戒はなかなか本格的で、東海地方を走る新幹線は徐行運転を行っているそうな。まあ、対策をしないよりはした方が絶対にいい。
地震が起きるかもしれない、という予測が出た時、下手にこの情報を公表したら市民生活や経済に影響がでるのではないかと心配したり、地震の危険性を訴えても実際に地震が起こらなかったら責任問題になるのではないかとおびえたりするかもしれない。でも、そんな気持ちから地震の危険性について発表することに消極的になる事の方が恐ろしい。これでまた打撃を受ける観光地(特に津波の危険が心配される海岸沿い)には気の毒だと思うけれど、必要な対策だと思う。打撃を受けた観光地には、後から何か補償をするしかないのだろう。
ただまあ、これほどまでに「恐ろしい恐ろしい」と騒動になっている南海トラフ地震だけど、(きわどい表現だとはおもうけれど)ある意味、幸運な地震になる可能性もある。何しろ、日本は2011年に甚大な津波被害を伴う震災を経験している。その後、全国各地の自治体で同様な災害が起きた場合の備えについて、考えがめぐらされ、対策が講じられてきた。
万が一、津波が来た場合の避難の仕方や、避難場所の指定も進んでいるだろうし、市役所や学校などの施設を、海岸沿いから高台に移転した自治体もある事だろう。確かに、2011年から13年の歳月では、まだまだ完全な対策を講じるには時間が足りないかもしれないが、それでも、具体的な震災被害をイメージした対策は進んでいるはずだ。「想定外」の災害に見舞われるよりも、いちおう想定した災害に遭う方が被害は少なかろう。
どんな震災に対する被害予想でもそうだけれど、「〇〇地震が起きた場合、〇万人の死者がでる可能性がある」と研究結果を出される。南海トラフだって、けっこう物騒な被害予想がある。でも、「そんな被害が予想されていた南海トラフ地震だったが、いざ起きてみたら、事前の対策の効果があって、被害は小規模に抑えられた」という未来だって、ありえなくはない。もちろん、楽天的に過ぎる話だとは自覚している。しかし、東日本大震災の死者を悼む気持ちがあるのなら、次の震災の犠牲者をどこまで少なくできるかの挑戦は、やるべきだろう。
ここでちょっと話はずれる。前回の日記で、近年の夏の暑さについて「災害的」という言葉が似合うようになってきた、といった事を書いた。実際、私はこれから年を追うごとに、夏の暑さは災害的になっていくのではないかと危惧している。
地震や津波は、確かに大変な災害だけど、それ自体は突発的で、終わりがあるものだ。しかし夏の暑さは、日常的で毎日当たり前のように続く。この「災害の形」は、地震や津波よりも、疫病の現象に近いと思う。
暑さが災害レベルになって、なるべく家から出ないように、とか、あまり屋外で活動しないように、とか、テレビやラジオで「不要不急の外出は控えるように・・・」と呼び掛けられる。この災害の形は、地震や津波のような目に見える派手さはないが、少しずつ世の中を停止させてしまう力を持つ。
もしかしたら、疫病で在宅勤務が珍しくないものになったのと同様に、夏の暑さも、在宅勤務を推進させる力になるのだろうか。そんなことを考えた。
そんな時代になったら、お金に余裕のある人だったら、避暑地の別荘に夏の間は移り住んで、そこからテレワークをするのが普通になるかもしれない。
実は、昭和の頃に作られた別荘地は、その後人気を無くして空き家が多くなり、廃墟になっている所も少なくないのだけど、また復活するのだろうか。
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