梅雨は開けて、猛烈に暑い日が続くようになった。週間天気予報を見ても、ずらりと晴れマークが続いている。ただ、まだ天気は完全に安定しないようで、激しい夕立が降る事もある。上の写真は土曜日の高尾駅でのもの。なんだか怪獣映画に出てきそうな、この世の終わりみたいな雷雲がそびえたっていた。青梅線では列車の運転を一時、見合わせていたらしい。
「これは藤野に帰っても凄い降りかな」と思っていたら、藤野はほとんど雨は降っていなかった。夕立と言うものは、降ってくるときは、大変だ、ゲリラ豪雨だ、と大騒ぎになるけれど、降りそうで降らずに終わると言うのは、なんとももったいないような、残念な気持ちになる。一雨降ってくれれば涼しくなったのにねぇ。
タチアオイの最後のてっぺんの花が咲く頃に、梅雨明けが来る、とよく言われている通りに梅雨が開け、子供たちは夏休みに入った。さっそく土日には川遊びに来る人々が大挙して押し寄せて来る。やはり、こう暑いと、川遊びは最高だろう。
梅雨明け一週間くらいが、一番体には暑さが堪える。何しろ、湿度と熱気がどちらも最高潮で襲ってくるから。まだ体も夏の暑さに慣れていない時期だし。でもこれが一週間も晴天が続くようになると、空気も少し変わって来る。
梅雨時は常に空気と地面に湿気が供給されていたけれど、晴天が続くとそれも落ち着く。夏らしい暑さはそのまま続くけれど、空気は徐々に乾いてくる。そうなると、押し殺されるような夏の暑さも、少しは過ごしやすくなる。それにこの時期になると、藤野の山でも、気の早いススキは早くも穂を出し始める。8月に入れば立秋だ。
もちろん、夏の暑さはまだまだ続くのだけど、どこか、夏の峠を越えて、秋の入り口を探すような心の余裕が出来てくる。朝4時頃になると、ヒグラシが一斉に鳴き始め、山全体が少し異様な雰囲気になる。これも、秋の入り口の一つだろう。
まあ、そうは言っても、これから連日のように、35度とか猛烈な暑さが続くのだろうな。
都市部では関係ない話になるけれど、山里では家の周りの草刈りが重要になる。春から秋まで、何度も草刈りをし続けないと、家が草で埋もれてしまう。ここで、夏の暑さ対策で、草を刈るのでも、地面すれすれまで刃を当てて刈るのではなく、地面から10センチから20センチほど刃を浮かせた状態で草刈りをして、草を少し残すようにしたらいい、という話がある。
確かに、地面すれすれまで草を刈ると、太陽の光は直接地面を射る。そして地面そのものを暑くさせる。ちょうど日当りの良い所のコンクリートやアスファルトみたいに。
それが、少し草を残す草刈りをすると、太陽の強烈な光も、葉っぱに当たって地面を直接射る事は無いし、葉っぱは太陽の光を浴びても熱を溜め込む事はしない。なので、地面が露出している所よりも、草が少し生えている所の方が熱の上昇は抑えられる。
よく、ビルの屋上に芝生を作ったりして屋上緑化をしたら、ビルが熱を溜め込まなくなって冷房の効きが良くなるという話があるけれど、草が生えている事による熱の上昇の抑止は間違いなくある。
ただまあ、基本的には上記の「少し草を残す草刈り法」は正しいのだけど、場所によってはやめた方がいい所もある。一つは家などの建物の周囲。草が生えて太陽の光が地面に直接当たらない状態と言うのは、草の生えている地面は、常に乾いてはいない、という意味でもある。これは、木造建築では不利になる。家の土台部分が腐ったり白蟻に喰われたりしないようにするのなら、家の周囲は極力、乾いていた方がいい。昔の遺跡の建物に、高床式の建物があるけれど、家を少しでも長持ちさせ、家の中のものを少しでも湿気から守ろうと思うのなら、家と地面は離れていた方が有利になる。離すのが難しければ、少しでも乾燥状態は留めておいた方がいい。
昔の日本家屋には大きな庇が張り出していて、家の周囲に雨に濡れない空間を作る事が多かったが、これも家を少しでも長持ちさせるための技術なのだろう。
もう一つ、地面すれすれまで草を刈って、地面に直接太陽光が射る状態を作るべき事例がある。それは、特にヤマビルが出て欲しくない場所だ。ヤマビルもナメクジに似て、太陽の光が直接当たるような場所は苦手としている。ならば、家の周り、畑の周り、家から畑までの小道の両側とか、極力ヤマビルにいて欲しくない場所は、こまめに草刈りをした方がいい。
もちろん、そういったこまめな草刈りを維持するのは、なかなか体力が必要になってくるのだけど。
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