2024年 7月14日

 梅雨は続いている。全国各地では大雨による被害も出ているようだ。ただ、近年は恒例になってしまったような、地域が丸ごと被害に遭うような災害は、今のところ現れていない。

 藤野になると、案外雨は少ない。爽やかに晴れる事はないのだけれど、豪雨と呼べるような降りはほとんどない。ただ、この週の前半は酷い暑さが続いたが、後半になって曇天と雨が続き、特に金曜日は埼玉県でも最高気温が25度に達しなかった。

 連日のように猛烈な暑さに打ちのめされていると、こんな涼しい気候になると体がほっとするのか、一気にそれまでの疲れが出てしまう。その日は仕事から帰って、家でごろりと横になると、いつの間にか眠りについてしまった。

 もちろん、こんな過ごしやすい日はすぐに終わり、またきつい暑さが続くのだろう。

 前からもこの日記では度々書いているけれど、さすがに、気候変動について真剣に悩んだり考えたりする時期にきていると思う。これまでにも、実際に気候変動が起きているかについて懐疑派の人々はいたし、気候変動に対して真正面から取り組む姿勢について、陰謀論的な疑いの目を向ける人はいた。

 実際、気候変動対策を称えれば、政府から助成金が降りる事業に参加できる、という理由だけで気候変動対策を主張する勢力もいた事だろう。

 でもなぁ、「暑いよ!、とても仕事にならんよ!、というか、暮らせないよ!」という人々の実感は、率直で嘘がないだけに力が強い。いずれ、保守も革新も、右も左も関係なく、気候変動対策に異を唱えるのは難しい雰囲気になってくる。これから、気候変動対策については、立場や環境の差を越えて大多数の人々が「やらねばならんでしょうな」と普通に考えるようになるだろう。

 ただ、もしかしたら、もっと早く、そんな統一した世論が形成できたんじゃないかなぁと思おう事がある。

 これは、気候変動の問題だけに限らないけれど、何か問題が発生した時に、それについていち早く気づいて警鐘を鳴らす人々もいれば、その情報を知ってから、率先してその問題を取り上げる人々も出てくる。

 そのような人々が問題に対して警鐘を鳴らすとき、その問題に対して無関心だったり、異を唱える人々が現れると、そういた人々を問題に気付かない愚か者だと考えたり、「衆愚」として馬鹿にしたりすることがある。こういう態度をとってしまうと、言われた側は、ますます頑なになって反発するようになるだろう。

 環境問題に関しては、この傾向は特に顕著にあったと感じている。環境問題に関心の高い、「意識の高い人々」と、そういった問題提起そのものに反発を示す「遅れた人々」という構図。

 でも当然、こんな構図ができてしまうと、お互いがお互いを馬鹿にし、攻撃し、無視し、関りを持たないようにする。結果、問題解決が遠のいてしまう。

 これは環境問題に限らないが、これから必要な人間の資質は、単に自分が正しいと思う事を言ったり行動したりするだけの人間ではなく、自分とは立場を異にする人々にも、語り掛けて懸け橋になる人間ではないか。

 こんな事を書くと、まっすぐにこんな反論が飛んでくると思う。

「やったよ、私はやり続けたよ、立場を事にする人々にも語り掛けたよ、でもぜんぜん振り向いてもくれなかったし、かえって頑なになるか、馬鹿にするだけだった」とか。おそらく、相当の数の失敗事例はあることだろう。

 それでも、私は、これからの未来、そのような立場を超えた心の通い合いが出来るような人間が、いよいよ必要になって来ると思っている。世代や境遇の垣根を越えて、意見を異にする人でさえも、思わず聞き耳をたてて話を聞く気にさせる、融和の力を持った人。

 人徳と言ってもいいし、大昔の宗教家(それもその宗教の開祖と言われる人)には、そのような力があったのだろう。

 そこまで大げさな話にしなくても、例えば、落語なんかを聴くと、長屋のようなコミュニティにも、いろんな世代の人々の話の聞き役になるご隠居さんなんかが登場する。あんな感じでも良いんじゃないかと思っている。

 実のところ、そういった地域の長老的な人を見かける事も、最近はすっかり減ってしまった。

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