2024年 7月7日

 七夕だが、そんな古式ゆかしい雰囲気なんか吹っ飛ぶような、猛烈な暑さが続いている。静岡では40度に達したそうな。藤野でも、35度くらいはいっていると思う。この週は、梅雨にしては雨は少なく、あっても夕立が降るくらいだった。特に土曜日の夕立は広い範囲で猛烈な降りになったようで、新幹線も一時運転を見合わせたほどだが、牧馬は、残念ながらパラパラとしか降らなかった。あれほど酷い暑さなので、少し降ってくれると有難かったのだけど。

 梅雨まっさかりのはずだけど、こんな天気が続くようでは、天気予報でも前から予測していたみたいに、梅雨明けは早いのかもしれない。となると、空梅雨になるのかな。ネムの花に続いてヤマユリも咲き始めた。もう2週間もすれば子供たちは夏休みに入る。いよいよ夏も本番になってくる。これだけ暑いと、道志川で川遊びをしに来る人も多かろう。

 それにしても、35度とか40度とか、私の子供の頃では「日本最高記録」みたいな気持ち滅多にお目にかかれないと考えていた気温が、普通に毎年訪れるようになってきている。これはもう、どう考えても気候変動は始まっていると認めざるを得ないのではないか。その割には、世間があまり騒がないのが不思議だ。マスコミだって、本来は「由々しき事態」と特集を組んで、今後の対処を訴える所だろうが。

 なんだか、もう誰も諦めてしまったかのような静けさが、不気味だ。

 どこか政府も、今さら手に負えないと行動することはおろか考える事すら放棄してしまったかに見える。農業では、今まで育ててきた品種が育たなくなり、今まで生えてきた木々が勢いを無くして枯れていくかもしれない。夏の暑さで亡くなっていく人も増えて行くだろう。

 これは更に不気味な想像だけど、日本政府には、既に統治能力も喪失しているのではないかと思うことがある。すでに既存の利権構造にがんじがらめになっていて、何か問題を解決するために動くことが出来ない。問題を解決するために少しでも動こうとすれば、既存の利権構造の一部にしわよせが行ってしまう、それに直面することが出来ない。

 これから何か、理想のエネルギーが見つかっても、原発が無用になる世の中とか、石油が無用になる世の中に移行することは、日本政府にとって耐えられない。耐えられないから日照りの時のカタツムリのように、殻に閉じこもって雨が降るのを待つしかなくなってしまう。

 これはもう、何百年も続いている日本的な病なのかもしれない。自身をとりまく状況が上手く行っている時は勢いよく波に乗るが、物事がうまくいかなくなると、徹底的な破滅に行きつくまで思考を放棄して、上手くいかないままの行動を馬鹿の一つ覚えのように続けるしか能が無くなってしまう。

 真実はそうではないと信じたいところだが。

 まあ、私はそういった現状認識なので、これからの問題解決には、民間からの自主的な動きで行っていくしかないだろうなぁと思っている。気候変動に対処した世の中作りなんてものも、そのモデルケースは、案外、企業や民間団体が主導して作っていくんじゃなかろうか。これが一昔前なら、政府自身が「特区」とかを作って、それまでのしがらみから離れたモデルケースを自ら作る事もあったろうが。

 6月16日の日記の最後に、これからの世の中、ビルやら道路やらを作るのではなく、夏でも心地よい木陰を作るような町を作ってはどうか、といった事を書いた。どうだろう、これだけ猛暑が当たり前になったのなら、そろそろどこかの自治体で、そんな町づくりを宣言する所が現れても良さそうだし、集合住宅を作るような住宅メーカーだって、夏の木陰をふんだんに盛り込んだ住宅地を作っても良さそうだが。

 ああ、でもこういうのって、よほどの高級住宅地でないと難しいか。今の住宅って、いかに狭い敷地に、ぎりぎりで建物を建てるかに血道を注いでいる。そういう建物でないと安く販売することができない。

 そう考えると、少なくとも夏でもおこちよい木陰のある町作りなんて、都会から離れた田舎でもないと、実現は難しそうだね。そうは言っても、田舎だったら既にいくらでも木陰なんてありそうだが。

 私が藤野で暮らすようになった20年以上前だったら、夏の夜でも寝苦しいと感じる事はなかった。昼間はそれなりに暑くても、夜になると山の上から涼しい風が降りてきて、エアコンを欲しいと思うことはなかった。

 それが残念ながら、今では、年に何日かは、夜になっても山の上から涼しい風が降りてこないで、ちょっと蒸すなぁと感じるようになった。確かに、気候は変わりつつある。

 そろそろ、その変動も落ち着いて欲しい所だが、学者たちの見解はそうではなさそうで、むしろ混乱はこれかららしい。

0コメント

  • 1000 / 1000