6月も最終日、ということは今年も前半が終わったわけだ。既に夏至も過ぎ、日々、日照時間は短くなっているはずだ。もちろん、夏の本番はこれからで、これまで単調な緑一色の山の景色も、ヤブカンゾウのオレンジ色の花とか、淡い紅色のネムの花が咲き出して、彩に豊かさが増している。
やはり梅雨時とあって雨は多い。時にはなかなかの豪雨もある。沢の水量は常に多めだ。個人的にはこの土日で体調不良を起こし、少し寝込んだ。どうも早めの夏風邪らしく、土曜日は頭痛が酷くて、田んぼの仲間の田植えにも参加できなかった。上の写真は、そんな頭痛のなか、食料品の買い物に行く途中で撮らせてもらったもの。
風邪の原因はだいたい分かっている。この時期の、急に蒸し暑くなったり、梅雨寒で体を冷やしたりで、なかなか体がついていかず、そんな弱った所を付け込まれたのだろう。夏本番を前にしてバテてしまっては仕方がない。
そんな中、今日は年に一回の、道沿いのゴミ拾いがあった。本来であれば「ゴミゼロ」の語呂合わせで、5月30日に一番近い日曜日に行われるのだけれど、篠原牧馬自治会では、住民への周知が5月30日までに間に合わなかったので、6月30日に延期になった次第。
このゴミ拾い。年々、回収されるごみの量は減少傾向にあったのだけど、今年は増加に転じた。これについて、心配性かもしれないが、不安を感じたことがある。
なんか、日本人全体に、理想も無くし、品格も無くし、他者への思いやりも無くし、劣化が進みつつあるのではないか。まあ、「大げさな」と思われるかもしれないし、実際、大げさかもしれない。でも、その土地の人間の気質が劣化していくのは、その場にいる人には自覚しにくい性質がある。この変化は、その場にいる人には気づかないほどゆっくりしたもので、いつの間にか、取り返しのつかない所まで劣化が進んでいるという事もあるだろう。
時々、報道で「ゴミ屋敷」というものが伝えられる。家の中が(外も)ゴミだらけになって足の踏み場も無くなり、最後には清掃業者に依頼するしかないような状態にまで陥ってしまう。
でも、そこに住んでいる人にとっては、自分の住まいがそこまで酷い所まで行く突くことを、自分自身の手では防げなかった。劣化とは、そのように進んでいくものだと思う。
ある人が、こんな話をしてくれた。その方は、海外での在住歴も長く、また日本による政府の援助で道路や橋などを作る現場にも詳しい人だった。その人が言うには、ある国では、橋を作って、その橋の開通を記念して橋に埋め込んだ金属製の銘板は、すぐに盗まれて無くなってしまうという。
世界には、「せっかくそこに金になるものが有るのなら、泥棒しない方が馬鹿だ」と考える人間の方が圧倒的に多数派、という国もあるらしい。一度、人間の心がここまで劣化してしまうと、国を立て直すのも大変だろう。
これを「外国の話」と軽視できない。もしかしたら、日本だって、「ゴミなんて、正規の手続きで処理するなんて面倒だし金もかかるんだから、その辺に捨てた方がずっと良い」と考える人が徐々に増えて、それが多数派になる世の中だって、ないとは言えない。そうならない未来のために、今の人間が日頃から心がけなければならない事は、たくさんあるだろう。
話は変わるけれど、今回のゴミ拾いで痛感したことがある。道路沿いのゴミの中には、少し、山の中に入って回収する空き缶やらペットボトルもある。そういった、一歩山の中に踏み込む際、この時期はヤマビルの襲来に気がめいった。時に今日は雨上がりの暖かい日で、ヤマビルが最も活動する条件が揃っていたからな。
もしかしたら、牧馬のような山の中では、道路沿いのゴミの回収も、夏は避けた方が良いのかもしれない。できればヤマビルの活動しない、晩秋から早春にかけてが良いと思う。更に言えば、私としては2月下旬ごろが良いかなと思うのだけど、そうしたら今度は、その時期は寒すぎると言う人も出るだろう。
まあ、細かい時期の設定はともかく、夏を避ける事はできないのかな。相模原市全体でのゴミ拾いの日だけど、山里だけ特例で、時期をずらすという事はできないだろうか。
まあ、合併前の藤野町の時代は、逆にゴミ拾いの日は暑い盛りの7月中旬だったと思う。今思えば、なんでよりによってあんな時期だったのか不思議だけど、お盆を前に道路沿いを綺麗にしておきたいという意味もあったのかもしれない。
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