2024年 6月16日

 夏至も近づきつつある。朝4時に起きると、予想外の明るさに驚く。木々は深い緑をたたえ、木陰は黒々とした影を落とす。

 年毎に、「今年は例年に比べて・・・」という話は常に出てくる。例えば、今年に関しては、柚子などの柑橘系の花が盛大に咲いたとか、梅が極端に不作だとか、何か自然界ならではの理由はあるのだと思うが。

 そんな話の一つに、今年は蛍の当たり年だ、というのがある。何年か前の台風19号で、藤野の山々も甚大な被害を被り、山も沢も荒れてしまった。そのせいか、その後のホタルの勢いも乏しいと感じていたけれど、今年はまるで復活したかのように蛍が宵闇に舞っている。もちろん、来年も同じというわけにはいかないだろう。災害が無くても、生き物には当たり年と、そうでない年が不思議とあるものだ。

 田植えの時期を迎え、私が参加している田んぼでも準備が始まっている。全国的なニュースを見てみると、各地で水不足が深刻らしい。一応、西日本は梅雨入りしているし、沖縄に関してはそろそろ梅雨明けだけど、関東に関しては、雨はそこそこ降るとはいえ、梅雨入りと呼べるまでには至っていない。

 実のところ、この6月の前半は、朝晩は妙に冷えた。ストーブが欲しいとは思わないけれど、どてらを羽織るくらいには肌寒かった。

 つまり、北からの冷たい空気が、意外と長い間、日本の上空に居座ったらしい。それで梅雨前線の北上が遅れた。まあ、ここへきて、ようやく夏らしい湿度の在る暑い空気が押し寄せて来たみたいだし、これから梅雨入りになるのは間違いないだろうが。

 個人的には、梅雨寒が続いた影響がある。ここ数日、30度を超える日も増えた来たけれど、そんな気温の中で草刈り作業とかしても、すぐにばててしまう。30度を超えると言っても35度とかじゃない。せいぜい32度程度で、いつもだったらなんともないのだけど、まだ体が夏向きに変わっていないようだ。

 これから暑い中での作業で大汗をかき、汗の質がべたべたした匂いのあるものから、さらさらした無臭の物へと変わっていけば、ようやく体が夏向きになったといえるのだけど、もうちょっと時間がかかりそうだ。

 今年の夏の暑さは、どの程度だろう。予報では猛暑らしいが、昨年みたいな暑さは勘弁してほしい。暑さに打ちのめされる苦しさもあるのだけれど、昨年の猛暑で心配だったのが、あまりの暑さのせいか、山の木々が、秋を前にして葉っぱが白く枯れてしまうことがあった。どうも植物にとっても、暑ければ暑いほど良いというわけではないらしい。

 猛暑は熱中症など、人を殺す事があるけれど、自然を殺す可能性もあるのだろう。

 近年、世界全体のニュースでも、猛暑を伝えるものが目立つ。気候変動の影響もあるのだろうし、マスコミとしても、気候変動がらみのニュースは重要と考えて、情報の発信に熱意があるのかもしれない。

 そんなニュースを見てみると、50度を超える気温について書かれている。30度を超え、40度に近づくような気温でさえ、ひいひい言っているのに、50度なんて想像もできない。というか、普通に死者が出る気温ではなかろうか。

 これまで私は夏と冬、どちらが怖いかと問われれば、冬の方だと考えていた。夏は、たとえホームレスのような境遇でも、暑さで死ぬことはないと思うけれど、冬の氷点下の寒さでは、暖かい家のない人では確実に生死にかかわって来る。だから問題の深刻さでは、暑い夏よりも寒い冬の方が怖いと。

 でも、もしかしたら、これからは認識に修正が加えられるのかもしれない。冷房のない家に住む人は死ぬ可能性が高くなる、そんな認識が一般的になる未来を想像すると恐ろしい。

 今からでも、夏を穏やかに暮らせる知恵を総動員して、猛暑に備えるべきではなかろううか。私が思いつくとしたら、街路樹とか、街中の鎮守の森とか、公園の木々とかを大切にして、人々が木陰に憩う環境を作るとか。

 緑が空気を冷やす効果は、意外と大きい。誰だって、コンクリートとアスファルトの都会から、神社やお寺の境内に入って、急に空気が涼しくなる感覚なら覚えているだろう。

 単に涼しくしてくれるだけでなく、人々の心をやわらげ、癒す効果は高い。こんな歌もあるが。

懐かしき木陰よ

 そろそろ、人間がすべきことは、ビルを建てるとか、道路を伸ばすとかよりも、心地よい木陰を作る事に移行しているのかもしれない。


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