山は若葉のみずみずしさを残しつつも、すべて力強い深緑に変わっていった。どこまでいっても、どこまでいっても、緑の山が続いている。この季節は、緑一色の景色が単調に感じることがある。春の花の季節でもなく、芽吹きの夢のような淡い季節でもない、この緑一色の景色は、生命力には溢れているのだけど、どこか冬とは違った意味で「死んだ」風景に感じることがある。山がすべて緑に覆われて、そこで動きを停止してしまったような印象を受けるからだろうか。
もちろん、そうは言っても山に生きる生命にとっては、活動の盛りの時期には違いない。栃の花に蜂が群がっていた。蜜とか、花粉がお目当てだろうか。
たびたびここで書いているけれど、この時期の山の花は、くすんだ白っぽい花ばかりで地味な感じがする。栃の花も、接近して細かく見ると、なかなか華やかでもあるのだけど、遠くから見ると、くすんだ茶色がかった白っぽい花にしか見えない。
ヤマボウシ、ニセアカシア、ミズキ、ホオ、ウノハナ、白い花が続く。例外は山のつつじと桐と藤の木だろうか。山の花が華やかさを取り戻すのは、ネムの木が赤い花を咲かせる頃からだろう。
調べてみたら、トチの花って、蜂蜜の蜜源として重要な木なんだとか。どうりで蜂が群がっているわけだ。
上の写真はニセアカシア。これもちょっとくすんだ白い花で、これもまた蜂蜜にとっては重要な木。私の知人に、この花をサラダと一緒に食べるのを好む人がいた。確かにおいしかったな。
地味な花、地味な花と悪口ばかりかいてるみたいだけど、それぞれ重要な植物には違いない。ただこのニセアカシア、本来は外来の木で、セイタカアワダチソウよろしく国内で急拡大したときには、危険な駆除すべき植物という見られ方もした。このあたり、今の世論はどうなっているのだろう。
ニセアカシアがその勢力範囲を急拡大したように見えた原因は、この植物が荒れ地に好んで根付くからだ。なので、土地を造成したけれど不動産開発に失敗して建物を建てることなく放棄された広大な土地とか、耕作放棄地とか、人の手が入らない荒れ地には、いつの間にかニセアカシアの林が出来ている事があった。確かに、そんな光景を見れば、外来種が侵略に来たように見えるかもしれない。
とは言え、私もこの植物をよく見かけるようになってから10年とか20年の月日が経つわけだけど、今では在来の木々を駆逐するようにニセアカシアが勢力を拡大するような勢いを感じていない。程よく、溶け込んでいるように見える。
植物にも得意、不得意があり、それぞれに相応しい役割がある。大雨などの災害で土砂崩れが起きて、一面の荒れ地が出来た場合、まずそこにはススキのような荒れ地に強い植物が定着する。ススキが荒れ地を覆うようになると、土も次第に肥えてきて、木々が生えるようになってくる。木々が成長して林になってくると、最初に定着していたススキは次第に姿を消していく。
このススキ同様に、ニセアカシアも、まず荒れ地を修復する一番乗りの植物らしい。そこで一気にニセアカシアの林が出来上がっても、次第に土地が肥えてくると、他の木々も生えてきて、徐々にニセアカシアもそこに溶け込んで目立たなくなっていく。どうやら私は、そんな流れを実際に見る経験をしたらしい。
ニセアカシアも薪になる。これが実に重くて、乾くとやたらと固くなる。つまり薪ストーブの燃料としては理想的なはずだけど、薪ストーブを使う知人いわく、ニセアカシアは、あまり燃やしても良い香りはしないのだとか。あと前述の通り、乾くとやたら固くなり、いったん固くなった木はチェーンソーで切るのにも骨がおれるそうだ。
ニセアカシアはマメ科の木。たいてい、マメ科の木は水に強い傾向がある。ニセアカシアも水に強く、腐敗にも強いそうで、アメリカでは鉄道の枕木にも使われていたとか。
そんな、硬くて水に強くて耐久性もある木なら、利用価値もあるだろう。ウッドデッキの材料なんかに最適なんじゃないかと思ったけれど、どうなんだろう。
聴いた話では、ニセアカシアって、成長の過程で、幹の中に石を取り込んでしまう事が多い木なんだとか。そういう木は、製材するときに鋸が石を切ってしまい、そのたびに鋸を痛めてしまう。
もしかしたら、そういう話もあって、あまり利用されないのかもしれない。
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