2024年 5月5日

 5月の連休も終わりが近づいた。今回の日記の写真は、すべて藤野のものではなく、富士山周辺のもの。以前、ここで「藤野ではすでに、山笑う、という季節は過ぎたけれど、その季節を味わいたければ、もっと標高の高い所に行けばいい」と書いた。藤野から道志の道を通って山中湖へ行くのは、それほど遠くない。そこから富士五湖のあたりを回ってみた。そしたら、まさにちょうど「山笑う」の季節だった。どうやら、藤野よりも二~三週間、季節が遅いらしい。それだけ、藤野よりもこの辺りは冬は厳しく長いという事になるが。

 連休の富士山周辺なんて、車の混雑が激しくなるのは目に見えている。なので、知りうる限りの裏道を駆使した。実際、あちこちで酷い渋滞があったし。

 疫病の影響が一息ついて、観光にも活気がよみがえったように見えるけれど、この小旅行である昔ながらの温泉地を通過した際、とても連休とは思えないような閑散ぶりに驚かされた。よく見ると、立ち並ぶ旅館の中には、既に閉業して久しい雰囲気を漂わせているものも多く、酷いものになると荒れ果てて廃墟になっているものもあった。

 なんか、高度経済成長期に発展した温泉地って、けっこうこういった衰退をしてるところが多いみたいですね。廃墟になった旅館がそのまま放置されて、町の美観を損ねたり、崩壊の危険性があったりと大変らしい。

 どうやら観光業が復活しても、栄える観光もあれば、そのまま衰退が止められない観光もあるらしい。人はこういった現象にあったとき、「時代の流れ」と言うけれど、じゃあ何がこれからの観光の主流になるのかという話になってくる。

 一つ思うのは、今は多くの人たちがインターネットで繋がり、ソーシャルネットワークでつながり、情報を共有しては、せっせと新しい話題に触れている。そして、それまでまったく無名だった所でも、見る人に「凄い」と思わせるものが有れば、たちまちその情報は拡散して、その場所を目指して国内はおろか海外からも人が押し寄せる。一昔前の人間なら、こういった現象を「軽薄」と思うかもしれない。ただ、私はそれだけではないと思う。

 人々に対して、素直に「凄い」と思わせる力。もしかしたら、これまでの観光業は、その大事さを深く考えていなかったのではなかろうか。温泉があり、宿を作り、料理を出しさえすれば、人は自動的に来てくれる、そういった気持ちのままでは、もう衰退を止める事は出来ないのだと思う。

 確かに、軽薄な点はあるとは思う。単に「ネット受け」を狙うだけであれば。でも、客を呼ぶって、人を感動させる事だろう。いくら制作費に金を使った映画でも、詰まらなければ客は来ない。

 来てくれたお客さんに、「また来たい」と思わせる感動を与えられるのか。そもそも、お客さんに感動を与えようという気持ちがあるのかどうか、そんなところから、これからの観光業は再出発するのではないかと思う。

 ネットの時代の観光は、最初の段階は、やはり「ネット受け」をするような、見るものを驚かすような話題性を狙った所から始まるかもしれない。始まりは、たしかにそんなものだと思う。映画でも最初はとにかく派手な見た目の映画を好むように。

 ただそれも、時間が経っていくにつれて、更に深い精神性を求めるようになっていくんじゃなかろうか。物見遊山も結構だけれど、自分の人生を充実させるための旅行となると、もうそれは物見遊山では無くなっているだろう。

 南極とか砂漠とかヒマラヤの山脈とかいった極地の冒険かもしれないし、宗教的聖地の巡礼になるかもしれないし、その地域ならではの文化を習得するための留学になるかもしれない。もちろん、気軽な物見遊山の観光も継続して存在し続けるのは確実だけど、ただの観光旅行から、人生を充実させるための「旅」に軸足を移す人も、増えて行くと私は感じている。

 さて、そうなった時に、その国に「誇るべき何物かがあるか」という事が、凄く重要になってくる。そこに行けば、人生を充実させる何かが確かにあると実感させるもの、そういったものが、その国、その地方にあるのかどうか。

 そんな時代が来た時、「観光」は、尊敬される国や地方に集中することになって来る。これはなかなか、厳しい時代だと思う一方。すばらしく面白い時代だとも思う。

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