今年の桜は長く楽しめたが、さすがに粘りを見せた桜の季節も終わり、一気に新緑の装いとなった。それでも、八重桜は盛大に咲いているけれど。こういった、モクレンとか桜とか、やや派手目の春の花が咲き終わると、山に咲く花も、どこか地味な花が多くなる。ミズキとか白い花ばかりになってしまうのだけど、これには何か理由があるのだろうか。その方が生き残る割合が高い、生存戦略だとか。
桜の花は長かったけれど、新緑の、いわゆる「山笑う」と言われる、若葉が出たての淡い色合いの状態は、すぐに通り過ぎて、しっかりとした緑色に変わりつつある。個人的には、あのちょっと現実離れした、天国のような光景が好きなので、もうちょっとゆっくりと楽しみたかったが。
もっとも、楽しもうと思えば今なら簡単に楽しめる。丹沢のもっと標高の高い所に登るとか、山中湖のような標高の高い高原に行くとかすれば、「山笑う」の季節はこれからだ。
そんな、浮かれるような山の景色につられてきたのか、このところ土日になると行楽の車やバイクがやたらと多い。まあそれは良いのだけれど、これは私の気のせいか、年々、運転手の技量が落ちているような気がしてならない。狭い山道なのに、平気でセンターラインをまたいで走って来る車もいる。
キャンプブームは終わったと報じられる事が多いけれど、道志川沿いのキャンプ場を見ると、あまりそういった印象は受けない。相変わらず、土日ともなると川沿いに町が出来たかと見まごう程、夕方にはテントの灯りがひしめきあっている。もちろん、日本のどこかでは、報じられている通りにキャンプ場に来る客が激減しているところもあるかもしれないが。
そんあ道志川沿いのキャンプ場だけど、ここへきて一つの決断をしたそうな。なんでも、キャンプ場で使う薪について、昔からよく使われているような、針金で束ねている薪は使用禁止になるのだとか。どうも、河原に使用済みの薪の針金を捨てる人が多いらしい。たぶんこれからは、PPバンドと呼ばれている梱包によく使われるプラスチックの帯が針金の代わりになるのだろうな。
実のところ、数年前からキャンプ場での薪の「脱・針金」の動きはあった。こういった時代を見越して、早くから針金を使わない薪の束ね方を実践してきたところは多い。それがいよいよ、禁止という流れに至ったということだろう。
「なんだ、じゃあプラスチックなら捨ててもいいという事か。」と誤解を招きかねないが、当然そんなことは無い。ただ、プラスチックの場合、捨てられても目立つので見つけやすかったり、捨ててある針金を素足で踏んで傷つけられるとか言った危険性からは遠ざかる。
プラスチックなら捨ててもいい、なんてわけはないけれど、出来る事なら、捨ててもかまわないような素材で薪を縛るというのも、将来的には考えてもいいかもしれない。「捨ててもかまわない」と言うよりも、「燃やしてもかまわない」という素材に。
例えば、麻の太めの紐なんてどうなんだろう。あれはなかなか強いし耐久性もあるが。薪と一緒に燃やしてしまえばゴミにもならない。
とはいうものの、少し先の未来では、それほどプラスチックを使う事に抵抗はなくなるかもしれない。捨てても自然に土に帰るプラスチックはすでにあるし、海に捨てても自然に帰るプラスチックだって増えて行くだろう。そのプラスチックの作り方も、石油由来のプラスチックに植物由来の成分を混ぜるというやり方から、すべて植物由来の成分から作ったプラスチックだって増えて行くと思う。こんな動画を見たけれど。
ここ数年、プラスチック、それも海洋に投棄されたプラスチックが、人類の未来を塞ぐ脅威として目の敵のように報じられてきたけれど、これから徐々に、捨てても自然に帰るプラスチックが当たり前になる時代に進んでいくんだろうな。
そうなると、林業にも別の役割が期待されるようになるのかな。
これは私の勝手な期待だけれど、建築物や木工製品のために切り出した木を、製品にするためには大量のゴミが生まれる。製材所では丸太から製品に使えない周辺部がゴミとして出て来るし、木材加工の現場では大量のおがくずが日々生まれる。こういった、従来は産廃扱いだったものにも、資源になる可能性が出てくるのなら、それはなかなか興味深い未来だと思う。
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