前回の日記でも書いたけれど、今年の桜は昔ながらの時期に咲いている。そして、パッと咲いてパッと散ることもなく、はらはらと花びらを散らしはするが、なおも枝には盛大に花を咲かせている。簡単には散らずに粘る桜だ。
ソメイヨシノがそんな感じなので、普通はソメイヨシノが散ってから開花するような山桜や枝垂桜も、ソメイヨシノと一緒に咲いている。そこに新緑も始まって、なんだか例年よりも景色が賑やかに感じる。
この土日は、藤野では各地でイベントがあった。疫病の影響も十分に脱してきたし、これからまた賑やかな藤野に戻っていくのだろう。道志川沿いのキャンプ場も、多くの客がやってきて、夜になると川沿いに町ができ高野用に、テントから漏れる灯りが川を囲んでいた。
このところ、よくニュースで「キャンプブームは終わった」という話を聞く。実際、そういう側面もあるかもしれない。ただ、ここ数年続いたキャンプブームは、疫病の影響で屋内の趣味よりも屋外の趣味の方が適切と言う追い風があったのが大きいだろう。行ってみれば、それはブームと言うよりも異常事態の反映で、疫病の流行が収束すれば、自動的にキャンプブームも落ち着くのは当然、予想されていた。
ただ、これはこの日記で何度か書いているけれど、異常なブームは終わっても、そこから静かなブームは続いていくと思っている。
それは、人々の意識が、静かに内省的になっていくからではないか、と私は書いて来た。都会の喧騒を離れ、静かな自然の中で、焚火を囲みながら、水や風の音を聞きながら、落ち着いた時間を過ごしていく。そんな静的な行楽で心を開放する事が、これからの時代の雰囲気に合っていると思う。
もう一つ付け加えると、これからの時代の「かっこよさ」はどんなものかを考えた時、自分で火を起こせるとか、自分で簡単な器具で調理できるとか、自分でロープを結べるとか、寒い中でも自分で暖かい寝床を作れるとか、自然の中でも対応できるような、実践的な技術を持っている事なんじゃないかなぁと思った。
まあ、高級品を身に付けたり、高級な食事を堪能するのも素晴らしいとは思うけれど、やはりこれからは、その人自身に身に着いた実力の方が、かっこいいと思われるんじゃないかしらん。
高級車に乗っていても、タイヤがパンクした時に、自力でタイヤ交換とかできる人の方が、尊敬される価値観といいますか、「腕に覚えのある人」の方に、私は輝きを感じます。
一昔前のお父さんなんか、大概の事は出来たんじゃないかなぁ、「日曜大工」なんて言葉は、今でも生きているのだろうか。
話は全然変わるのだけど、ここへきて、高速道路を使うのに、ETCしか使えない所が増えてきた。首都高はすでにそんな感じだし、藤野に近い圏央道の出入り口もそうなっている。ある高齢者の施設で、いくつもの車に分乗して行楽地に行こうと計画を立てた時、その点がネックになったと聞いた。どうやら、すべての車にETC車載機があるわけではなかったらしい。付けていない車もあったとか。
ただ、この流れ、私は以前から、どこか問題があるのではないかと思っていた。ETCの普及を促進させるのは判る。しかし、ETCに対応していない車は道路を使えないとするやり方は、国の姿勢としてどうなんだろう。私は法律については詳しくは判らないが、集団訴訟でも起こされたら、憲法違反か何かで騒ぎになる可能性だってあるのではないかと、そんな気がする。
もちろん、道路を運営する側にも理屈はあるだろう。ETCを普及させれば料金所に人員を配置しなくてもよくなり、人件費も浮いて、道路の維持が楽になる。そんな努力を重ねれば、もしかしたら千年後には高速道路の無料化も実現できるかもしれない。
しかし、道路とは、国民全体が使う重要な設備だろう。そのような生活に密着した最重要な設備を運営するのに、弱者を切り捨てるような姿勢は、どうなんだろう。
こんな話、大げさと思われるかな。まあ、ETC車載器の取り付け自体は、それほど高額ではない。業者に任せれば、取り付け工賃も含めて2万円もかからないだろう。ただ、それでも、人に負担を強いる事には違いない。
行政が運営する図書館で、何か特殊な装置を購入しないと本を借りられないようなことになったら、さすがに人は騒ぎ始めるかな。
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