雨が降ったかと思えば雪になったり、急に上着を脱ぐような陽気になったり、突然、風花が吹き荒れて気温が下がったりと、寒暖の差が激しい。こんな時に体調を崩すのだから、なるべく冷たい風には当たらないように用心している。
暖冬の結果で、3月も始まったばかりなのに、桜にちらほらと開花が見られる。これはいくらなんでも早すぎると思った。フキノトウも例年よりも早めだった。よく暖冬はエルニーニョ現象が原因と言われるけれど、エルニーニョ現象が起きている時は冷夏になる傾向があるとか。今年の夏はどうなんだろう。
3月始めにしては沢の水量が多い。普通は3月下旬まで渇水が続くが、このところ週に2回はまとまった降水があり、野山を潤している。これから木々が芽生える頃はどうなるんだろう。春に木々が芽生える時、木は水を大量に使うのか、子の時期に雨が降っても全然沢野水量が増えないことがあるが、今年は既に増えている。
今年の春は、全体的に1~2週間は、いろんな自然の巡りが早めな感じだ。2月の下旬には、既に杉の花粉がもうもうと黄色い煙を上げていたし。普通、こんな光景は3月半ばのものだったはずだが。
自治会の総会が3月31日にあるが、その前に牧馬地区の地区会が行われた。ここで話された意見や要望が、自治会の総会に取り上げてもらう。
このところ、心の病について書くことが多かった。まあ今回もそれにちょっと近いけれど。
統合失調症と同じく、心の病である鬱病は、その症状は多岐にわたって書ききれないが、すっかり気分がふさぎ込んで何もする気が起きず、家に閉じこもる状態になる事も多い。近年になって世の中に周知されてきた事として、鬱病の患者に「頑張れ」と言うのはよした方が良い、と言うものがある。
頑張りたくても頑張れない状態に悩んでいるし、下手に励ましてもかえって追い詰めてしまう。鬱病には自殺願望が出る時もあり、下手に「頑張れ」と言うと、自殺願望に火をつけかねない。まずは、すっかり疲弊した心を十分に休ませ、落ち着かせ、安心させ、再び前向きな気分以なるように時間をかけて対処するしかないのだと言う。なので「頑張れ」は禁句なのだと。
ただ、こうも言われるらしい。確かに鬱病の患者に頑張れと言うのは危険だが、かといって、永遠に言わないと言うわけではなく、むしろ積極的に頑張れと言うべき時期もあるのだとか。
サン・テグジュペリの小説「星の王子様」に酔っ払いが出てくる。なぜ酔っぱらっているかと言えば「恥ずかしいから」。なぜ恥ずかしいのかと問えば「酔っぱらっているから」。
これと同じことが鬱病でも起こりかねない。
鬱病で世の中と交われない日々が続く。確かにしばらくは安静に努めて心の回復を待つしかない。しかし、あまりにも世の中と交わる事が出来ない期間が長く続くと、「いつまでも世の中に交われない私は駄目な人間だ」とますます病が深刻化する。
どこかで、「私は少しずつ良くなっているぞ」という自信を与える機会をつくるのも大切なんだとか。
ここで難しいのは、じゃあ鬱病の患者の、どんな状態の時は「頑張れ」と言っては駄目で、どういう状況の時は「頑張れ」と言っていいのか。言うべき時に正しく言い、言わないときは正しく言わない。これは、かなりの難問のように思える。多分、家族の一員の中に鬱病の患者がいるような家庭でも、その家族の面々に、そのような正しい能力を望むのは酷ではないのか。
こういった事が出来るのは、熟練と言う言葉がまさに似あうような、長い年月をかけて知恵と経験を積んできた人になって、初めて可能になる事だと思う。
禅宗に、「啐啄同時(そったくどうじ)」と言う言葉がある。詳細な意味はこのページが判りやすい。
背中を押すべき時には押し、ほって置くときはほっておく。こういった人間同士の絶妙な機微というものは、最近は語られなくなったと思った。
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