2024年 2月18日

 ロウバイの花が咲いている。上品な香りが辺りに漂い、少し春を感じた。気候も変わって来て、空の色も、真冬の紺碧の色合いは見ることが少なくなってきた。雨も周期的に降るようになり、土地がカラカラに乾ききると言う事も、これからは無くなって来るだろう。

 牧馬の集落は、自治会の単位としては、篠原牧馬自治会に属している。自治会の総会は毎年、年度末の日曜日に行われるが、その前に、自治会を構成している4つの地区(篠原の上地区、中地区、下地区、牧馬地区)で、それぞれ地区会が行われる。その地区会で話し合われたことが、自治会の総会に議題として出されるのだ。

 牧馬の地区会は3月3日に行うことになった。今回はいろいろと話す事があって、長引くかもしれない。そんな議題の中でも最大のものは、牧馬にちゃんとした水道設備を作るかどうか、というもの。

 牧馬の各家は、すべて、それぞれが沢水を引いている。まあこれ自体は、水道代もかからず、良い側面もあるのだが、今のように高齢化が進んでいくと、自力で水源の整備が出来なくなってくる家も出てくる。長い間、慣れ親しんだ沢水だが、安心して使える水道設備が、今後の事を考えると必要になってくるのではないか、という意見は以前からあった。

 もう一つ、こっちの方が深刻な理由があって、近年になって沢の水量が少なくなってきている事がある。原因は不明。近隣でトンネル工事があって水脈が切られたとか、判りやすい理由でもあれば理解も出来るのだけど、それらしい理由が見当たらない。しいて、想像を飛躍して考えてみると、水源のある沢の上流部で桧の植林があり、それによって山の水の保水力が落ちているのではないか、と言う説。

 しかし、桧の植林があったのは、もう何十年も前の話だし、桧の植林が既に完了している20年前や10年前と比較しても、水量は落ちているのだ。

 関東の冬は乾燥が激しい。長い期間、カラカラの晴天が続く。こうなると沢の水量が落ちて、水が家まで降りてこなくなってしまう。これでは生活が出来ないし、実際、この冬は、数件で水が来ない日があった。

 幸い、この冬は一度まとまった水量の大雨が降ったり、そこそこの積雪量の雪が降ったりして、その後の水不足には悩まずに済んでいるのだけど、もう、このまま静観していい時期は終わっている。いざ水道が欲しいと思っても、すぐに出来る設備ではない。望んでも実現までには長い時間がかかる。決断をするのなら、もう今すぐ決めるべき時期に来ている。

 水道以外にも、なかなか大きな問題がある。牧馬の道には、車がすれ違いもできないような細道もあるが、それでもその道には人家があり、日々、使われている。その道のコンクリート舗装が割れてきている。

 コンクリート舗装の少々の割れくらいなら、それほど問題視する必要もなさそうだけど、今回の割れは、コンクリート舗装の道の崖側の方が、3割ほど割れて崩落しそうになっている。これは、使い続けると通行不能になるのも、それほど遠い先の事ではないなぁと思わせた。

 それに、この程度の割れなら、まだ数年は大丈夫と思っても、急な豪雨があったりして一気に崩壊が早まる可能性だってあるだろう。この地域に住む人間としては、車が使えなくなるのは死活問題に近い。買い物や通勤はもちろん、荷物の運送も不可能になるし、プロパンガスの配送も出来なくなればガスが使えなくなる。

 水道を作る事に比べたら、まだ工事の規模は小さいが、こちらも静観していい時期はとうに終わり、声を上げる時期に来ている。

 小さな集落の話だけど、生活が成り立つかどうかの問題は、どうしてもやってくる。小さい集落の、わずかな住民のコミュニティーだけど、知恵を出し合って行動を始めなければならない。

 一見、まるで時が止まったかのような、いかにも平和で何事もないような集落だけど、未来に向かって備えなければならない問題は、次から次からやってくる。

 でも、本来ならこういった事柄は、何も山里の集落に限った事ではない。大都市だって、未来に向かってしなければならない決断に追われているのは同じだろう。

 それが、山里の場合、住民一人一人に目に見える形で分かりやすく迫って来る。これは、教育的と言う意味では良い事なのかもしれない。

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