2024年 1月21日

 土曜日の昼から降り出した雨は、ずっと雨のままで終わった。よくこの時期の雨は、降り始めの頃は「こんなに暖かい気温なら、雪にはならないな」と思っても、降り始めてからしばらくすると、気温が急激に下がって雪になり、ついには大雪になる事もあるが、今回は違った。やはりこの冬は暖冬傾向で、どうもいまいち本物の冬になりきれない感じがする。春が待ち遠しいと言うより、もう春に入っているのではないかと思う日もある。実際、杉花粉は既に飛び始めているそうな。

 今回の雨で予想外だったのが、意外にしっかりとした水量が降った事。時間帯によっては、土砂降りと言う表現も使えるような降り方だった。普通、この時期の雨は、少々の大雨であっても、冬の乾燥が続いて山の土もカラカラになっていて、沢の水量を増やす事もないのだけど、この雨は違った。沢の水はしっかりと増水し、濁った濁流になっている。こういう光景は冬では珍しい。

 こんな光景を目の当たりにするたびに、私が知っている本来の冬が、昔のものになりつつあるのかな、と思えて、少し寂しい気持ちになる。

 まあ悪い話だけではない。この時期の沢水は、連日の乾燥ですっかり水が少なくなり、沢の水源からの水が家まで来なくなることがある。この雨は、そういう家に対しては恵みの雨に違いない。

 最近、お笑い芸人を扱う会社が不祥事で取り上げられている。これはまあ偶然には違いないが、このところ芸能の世界で大きな力を発揮してきた所が、自滅して力を失っていく場面が続いている。アイドルを扱う某芸能事務所も、完全にその力は失ったとみていいと思う。

 なんか、そういう時期なのだろうか。そういえばこれは芸能界ではないけれど、昨年は日本の最大規模の新興宗教団体のトップの死が報じられたし、与党の派閥解散の話もでてきた。いろいろと、動き始める時期に来ているのはあるのだろう。

 動揺が広がれば、消えていくものもあれば新たに生まれて来るものも出てくる。自分自身は、自分自身の関わっている仕事は、自分自身の行っている生き方は、消えていく側のものなのか、これから力をつけて世の表に出て行くものなのか、これから結果が出始める。

 やはり、前回の日記で書いた「年寒くして松柏の凋むに後るるを知る」という言葉が思い出される。私は、これから風と共に消えていく葉っぱなのか、残る葉っぱなのか。

 残る存在となると、それは当然、実力を持っている存在という事になるだろう。その実力について、最近、強く考えさせられた経験があった。

 ある人から技術を教えてもらう際に、その人の教え方の上手さに深く感動することがあった。必ずしも、技術のプロが教え方のプロである確実性は無いが、その人はまさにそういう人だった。

 そこで強く感じたのは、師匠とか、教育者とか先生とかいった人たちの存在意義はなにかと言えば、独学だったら3年かかる所を三か月で教育して習得させ、同じように三か月かかる所は三週間で達成させ、三週間かかる所は三日で習得させ、三日かかる所は三時間で教えてしまう、そういう力の持主の事だなと感じさせられた。

 本物のプロって、自分の持っている技術について確信があるのか、教え方にも実に無駄が無い。そして、私の中の何が不足しているのかを常に的確に判断しているので、まるで足し算と引き算を習得した生徒に掛け算や割り算を教え始めるように、「じゃあ次はこれをやってみましょう」と、次の段階を的確なタイミングで提示してくる。

 まあ何でも、早くできればいいというわけでもないけれど、普通の人よりも早く的確に目標を達成してしまうというのは、プロの条件の一つでもあるのだろう。

 プロ中のプロは、深い知識と経験があるだけに、状況の判断と対応の知識と技術がすべて的確だ。それだけに、仕事は早いし正確だし、想定外の事態にあっても対処が早い。

 どんな分野にも、そういう人はいるんだろうな。

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