2024年 1月7日

 今年は元旦早々にとんでもない事件が起きた。能登を震源とした大地震があり、最大震度は7を記録し、その後も大きな余震が多数続いた。津波の被害もあり、土砂崩れも多発した。倒壊している家屋も多く、今もなお電気や水道が復旧しなかったり、携帯電話の電波が使えなかったり、道路が使えずに救援物資を届けるのにも苦労したりと、大変な状態が続いている。暖冬傾向とはいえ真冬の災害でもある。家屋を失った人々には苦しい日々だろう。

 自分に出来ることと言ったら、募金程度だが。

 倒壊した家屋を見ると、二階建ての木造建築の、一階部分が潰れて、二階部分がその上に乗っかっているような映像をよく見かける。こういうのを見ると、やはり耐震補強は大事だなと思った。さすがに震度7なんて地震の直撃を受けたら、どんなに耐震補強をした家でも歪んだり壊れたりするだろうけれど、少なくとも「潰れない」くらいの事は出来るのではないか。それだけでも、たとえ家は傷んでも、命を失う危険性はずっと減る。

 あとなぁ、こういった災害の事件を見るたびに思うけれど、人々の暮らし方そのものに、災害に対する弾力性を備えさせる知恵は、今後も必要だと思った。

 例えば、具体例を挙げると、太陽電池と充電池を組み合わせた設備を付けて、たとえ停電が長引いても電気に不自由しない状態を作るとか。

 太陽電池といっても、何も屋根の全面に付けるくらい大規模にやれとは言わない。最初はたたみ一畳程度でもいい。携帯電話の充電が確保できるだけでも有難いだろう。大規模に太陽電池を設置できる人なら、自家用車の内の一台を電気自動車にするのもいい。ひどい災害の時には石油の供給もままならなくなる時がある。そんな時でも、自分で発電して自分で充電して、移動の自由が確保できるのなら安心感も違う。

 こういった事柄は、すべての人がすればいいと言う話ではない。その地域に住んでいる人たちの、得意分野でやればいいと思っている。

 前述の、太陽電池と電気自動車の組み合わせて、石油が無くなっても移動手段を持つ人もいれば、家に飲用可能な井戸水がある人とか、そのままの飲用は出来なくても清潔な沢水が常に手に入る家とか。上水道と下水道が機能しなくても使えるトイレがあるとか、薪で沸かせる風呂があるとか。

 そういった、それぞれの得意分野を持った家々が、互いに協力しあえる関係が成立していれば、いざ災害が起きた時でも心強いと思う。

 あと、こういった協力関係が築けるのは、これまでの文章で既に想像がつくと思うけれど、田園地帯ということになる。

 大都市に通勤する人たちだけが住む、いわゆる「ベットタウン」と呼ばれるような住宅密集地では、まあ太陽電池と電気自動車の組み合わせなら何とかなるけれど、井戸水とか沢水とか、薪風呂とかトイレとか、用意できる家なんて無いだろうしなぁ。

 それでも大都市などでは、災害時にはマンホールの上に直接配置するタイプのトイレを使ったり、公園などの公共の場所には、災害時だけ使用する汲み取り式のトイレを用意するケースもあるそうだ。「あそこには使用可能な井戸水がある」という情報も蓄積しているだろうし、いざとなれば、生水を安全に飲用できるようにする濾過装置の用意もあるだろう。

 そういった準備は大切だし、これからも充実していってほしいけれど、やはり災害時に弾力性を発揮するのは、ほどよい田園地帯だと思う。あまり深山幽谷みたいな田舎過ぎると、土砂崩れで道路が寸断したりして、その地域自体が孤立しかねない危険があるが、「ほどよい田舎」なら、いいんじゃないか。

 もう一つ、これは前回の日記でも似た話をしたけれど、鉄道が災害で被害を被って寸断されても、迂回路があれば対応可能なように、どこかが災害の被害に遭っても、集団で一時的に移住できるような地域を、前もって想定しておくのもいいかなと思った。

 移住なんて言うと大げさに聞こえるかもしれないし、いったいいくら費用が掛かるんだと思われるかもしれないけれど、全国の空き家の情報を、すべて一元的に管理できるような仕組みが国によって作られれば、案外、安価に移住も実現できるかもしれない。

 なんだかこれから、地震以外にも、風水害とかいろいろ試練が多そうな気がする。であれば、国全体で弾力性をどうやって確保するのか、そんな知恵が必要になって来ると思います。

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