週に一回程度の間隔で雨が降り、雨の後は木枯らしが吹いて寒気が降りて来る。そして枯れ葉を散らしていく。徐々に晩秋から初冬へと移っていく。
朝、霜が降りるのも普通になって来ると、いよいよ道路の凍結の心配も出てくる。急に冷え込んだ朝、谷筋の道や橋の上が凍結しているのに気づかず、事故が起きるのもこの頃だ。もっとも、この時期を過ぎると行政が積極的に道路に塩を撒くようになるので、そうなると凍結もしにくくなる。更に、関東の冬らしく、ずっと雨が降らずに乾燥が進むと、いくら寒くても道路が凍結することも稀になって来る。今回の冬は、カラカラの冬になるだろうか。それとも、湿り気も含んだものになるだろうか。
暖冬が予想されている今回の冬だけど、じゃあ雪が少ないかと言うと、必ずしもそうとは限らないらしい。暖冬のせいで湿気が沢山あると、それが原因でドカ雪になる事もあるそうだ。2014年の大雪は地元の古老も「こんなのは見たことが無い」という積雪で、牧馬でも1メートル積もったからなぁ。まさかあんな雪が今後もあるとは思えないが。
気候変動で毎年のように豪雨被害に見舞われるようになってきたけれど、豪雪被害も毎年のように来る世の中になるのだろうか。確かに、気候変動も単なる温暖化というよりは、「極端化」と表現した方がいいのかもしれない。
それでも、雲一つない青空の秋の一日は心地よい。藤野では毎週のようにどこかでイベントがある。ただ、今年は猛烈な夏の暑さのせいか、紅葉する前に葉っぱが茶色く枯れてしまった木々が目立ち、そういった木はもちろん紅葉しない。また枯れていない葉っぱの木々も、例年のような鮮やかな紅葉ではなく、どこかくすんだ色合いにしかならないみたいだ。
気候変動のせいで、毎年のように紅葉がさえないというのは悲しいな。やはり四季の風情が楽しめる世界であってほしい。
これから木枯らしが吹くたびに木々が葉を雪のように落としていく。道路わきに積もった葉っぱを、畑の堆肥にするために回収して袋に入れて持っていく。そんな季節が近づいている。
なんか現政権の評判が悪いと言う話を聞くが「そりゃそうだろう」という気持ちと、「それはおかしい」という背反した気持ちが湧く。前者に関しては、物価高に増税しかない世の中なら、そりゃあ人々も不満を持つだろうと思う。後者に関しては、「しかし、前々政権に比較したら、あくどさも闇の深さも遥かにましだろう」とも思う。増税だって、法にのっとり、法の手続きに従って行う以上問題は無い。少なくとも、モリカケ疑惑のような犯罪性は無い。
そう考えると、前々政権には、ずいぶん世間はあくどさに目をつぶって「ひいき」していたね、と思う。
こんな世の中の流れを見て、「保守」の魅力が無くなったと思う。これは時々、この日記でも書いて来たが。その政権がどんなにあくどく犯罪性があっても、「保守政権」というだけで擁護され支持される時期があった。そんな時代が終わりつつあると私は考えている。
そうなった最大の理由は、物価高に増税に、なにより人口減少と、世界がより貧しく、より不自由に、より喜びと可能性が少ない方向に縮小再生産ばかりしていると思う人々が増えて、そう考える人が主流になってきたという事だと思う。世の中がそうなると、「保守」なんて、「人々が困ってもなにもしない無能」と思われるようになる。それどころか、戦前の家制度への回帰を望むような、およそ非現実的で庶民の足を引っ張るような提言ばかりしたがる。
もう今の世の中、夫婦共働きは普通だし、夫よりも妻の方が収入が多い場合だって珍しくない。逆に、「昔ながら」の家庭の在り方は、今後ますます維持が困難になって衰退していくだろう。新しい世の中に合った、新しい世の中の形を作っていく必要がある。
考えてみれば「保守」というのは、世の中の大部分の人が、自分たちは豊かで、恵まれていて、このままで問題はないんだ、と思っていないと成り立たない。尻に火が付くようになると保守なんて言ってられず、「なんとかしろ」という怒声に変わる。
現政権の不評も、そんな時代の流れにあって、たまたま貧乏くじを引いたのだろう。10年前だったら、「まあ普通の政権でしょう」と、可もなく不可もなくといった状態で支持されていたのではないか。
保守と言うのは、高度経済成長のような「成功体験」がいったん落ち着いて、停滞期に入った時に現れる病気みたいなものだと私は思っている。「保守」が幅を利かせている間に、停滞期は更に悪化して成功体験が過去のものになり、その現象が誰の目にも明らかになって実害が現れるようになって、保守の時代は終わるのだと思う。
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