この週末、金曜日と土曜日に、雷を伴う夕立があった。いわゆる時雨(しぐれ)というものだろうか。晩秋から初冬にかけての時期、急に寒気が降りて来た時に起こる驟雨の事だけど。少しずつ、秋は深まっていくけれど、まだ石油ストーブを出すほどではない。
11月1日から、篠原で興味深い事業が始まる。地元で組織を立ち上げて、地元の為のボランティアタクシーを始めるというもの。山里での地域交通の不便さは今に始まった事ではない。病人や高齢者、体の不自由な人とか、自家用車を使うのには不向きな人にとっては、地域交通の希薄さは死活問題になりかねない。山里の暮らしに憧れて山里に移住する人がいる一方で、年を重ねたら「やはり山里では暮らしていけない、都会のマンション暮らしの方がいい」と、山里を去る人々も多いのが現状だ。
一応、地域の交通を何とかしようとする制度もある。篠原にも「乗合タクシー」という交通手段がある。事前に予約すれば使えるのだけど、路線バス網のある道路では使えないという縛りがある。既存の地域交通と競合してはいけないからだ。例えば、乗合タクシーで篠原から藤野駅に行くのだったら、篠原から乗合タクシーでバス路線のある赤沢か、やまなみ温泉のバス停まで行き、そこから路線バスに乗り換えることになる。
そんな不便さもあって、なかなか普及に勢いがつかない。
そこで今回の「ボランティアタクシー」だけど、これは直接、篠原から藤野駅まで乗り換えなしで行ける。既存の路線バスと競合してしまわないか、という問題に対しては、この「ボランティアタクシー」は、ボランティアであって営利目的ではない、という理由で、路線バスのある区間でも走行可能となっている。
もっとも、その弊害もある。運転手に謝礼が払われないのだ。ボランティアだから。利用者が支払う金額はガソリン代相当だけで、片道10キロごとに200円を想定している。
車の運転手は地元の有志で、既にタクシーなどを運転できる2種免許の持ち主や、この制度のために研修を受けた人たちが担当することになっている。もっとも、その人数にも限りがあるし、運転手にも皆それぞれに都合もあるので、利用者が望んだ日に運転手の都合がつかずに利用が出来ない可能性もある事が伝えられている。
このような地元住民が立ち上げた地域交通だけど、これから安定的にこの仕組みを維持したり発展させていくためには課題も多そうだ。まずは、運転手の数を増やさなければならないだろうし、ボランティアで運転手を担ってくれる人を確保し続けなければならない。
さすがに無報酬で運転手をお願いし続けるのは現実的ではないので、地元で基金を作って寄付を募り、そこから運転手への謝礼にしていくという。
この仕組み、うまくいってほしいなぁと思う。実際、私だっていつかは使うかもしれない制度だ。数十年先には自分だって車の免許を返上する時が来るだろうし、そのずっと前に、怪我や病気で利用したい時が来るかもしれない。
そのことを考えると、自分も利用したいと思うだけではなくて、その前に、この制度を支える役もやらなければならないな、とも思う。今はとてもそんな余裕はないけれど、例えば仕事を定年退職して、それでいてまだ運転手を担うだけの体力には恵まれている時期に運転手をするとか、そのずっと前でも、土日祝日限定で運転手を引き受けるとか。
これは、地元のコミュニティーの力が問われる仕組みだなぁと、考えさせられる。その地域の高齢者と他の世代が、それぞれを思いやれるような心の交流があるかどうかでも、こういった仕組みが存続するか廃れるかの道が決まってくるのではないか。
「あのお年寄りには昔から世話になったなぁ」という気持ちがある人なら、じゃあ自分が支えていこうという気持ちにもなるだろう。年配者によって、その下の世代が、「育てられた」「世話になった」「いろいろと精神的に与えてもらった」という実感があると、この制度も血の通ったものになってくる。
これは、金銭を媒介にした商行為とは、正反対のものだろう。商売だったら、金を払えば人は動いてくれる。そこに世代間の恩義など必要ない。
もしかしたら、これからの世の中、「商売」だけでは、ますます世の中を動かすのが難しくなってくるのかもしれない。そんな時、最後の切り札になるのは、人と人との間の、心の通い合いになるのだろうか。
ともかく、この地元の小さな山里で、そんな実験が静かに始まろうとしている。
0コメント