9月に入っても蒸し暑い。南の太平洋から暑くて湿気を大量に帯びた空気が、どんどん流れてきている感じ。雲の形もいかにもそんな感じで、湿気をたっぷり含んだ入道雲が次々と湧き上がる。秋の爽やかさにはまだ遠そうだ。
ただ次の週は雨が多いようで、最高気温も「生命の危険を感じさせる」ような、34度とか35度とかいった数字からは離れるみたいだ。気象庁は、今年の夏の暑さは今までにないくらい異例なものだと認めている。今年の熱中症による死傷者の数が確定するのは、まだずっと先だと思うけれど、例年に比べるとかなり増えているんだろうな。
以前にも同様な事を書いたけれど、もしかしたら今後、夏の暑さによって「住めない」土地というのも出来て来るかもしれない。人々が理想とする住処の条件の一つとして、夏の暑さがしのぎ易い事を強く挙げる時代が来るかもしれない。実のところ、人口減少時代の現われか、高原の避暑地には、使われなくなった別荘が増えて問題になっているけれど、また人気が出て来るかな。
平地の都会でも涼しい環境を作ろうとしたら、ある程度の規模の緑地が必要になるけれど、そんな事ができるかどうか。
緑地の涼しさは、誰でも体感としては経験していると思う。
例えば、コンクリートとアスファルトに覆われた都市部で、暑さにあえぎながら町中を歩いている時、神社とかお寺とか、公園とかいった木々が茂る木陰に入ると、すっと涼しさを感じる。実際に気温が低い。コンクリートとかアスファルトは太陽の光線を受けると熱を溜め込んでお湯が沸くんじゃないかと思うくらい暑くなる。実際、太陽熱温水器もあるからね。
でも木々の葉っぱは、いくら太陽の日を浴びても、熱は溜め込まない。木々の葉っぱが50度とか60度とかにはならない。それに木々の葉っぱからは絶えず水蒸気が放出されている。これが気化熱となって、周囲の気温を下げている。
都市を、熱を溜め込まず、熱を冷やす機能で作り変えるには、植物のような自然の力を借りるしかないと思う。
そういえば、画家のサルバドール・ダリが、ある高名な建築家(確かル・コルビジェだったと思う)から、未来の建物はどのようなものになっているかと問われて、「未来の建物は毛が生えていると思う」と答えたという話を聞いたことがある。この返答に、建築家はからかわれたと思ったのか腹を立てたらしいが。
でもなぁ、コンクリートの建物に、動物のような毛が生えていたら、太陽の光が直接当たっても熱を溜め込まない。
動物の毛って、夏だといかにも暑苦しそうだけど、かといって毛の無い状態よりは夏を溜め込まない。毛のように体積に比べて表面積が大きい構造は、ちょっとそよ風でも吹けば、たちまち熱が逃げていく。体毛は、直射日光を直接肉体に当てない「日傘」のような役割を担っている。
ダリは、どこまで考えてそんなことを言ったのか判らないけれど、コンクリートの建物が遥か未来に進化したら、その建物自体、夏涼しく冬暖かくなるような、有機的な仕組みが出来ていると思ったのかもしれないな。
日傘と言えば、今年は日傘もだいぶ売れたみたいね。それも、過去に女性がしていたような、白く薄い、レースがかったオシャレなものではなく、しっかりと太陽光を遮断するような日傘が。試しにインターネットで「日傘」を検索しようとしたら、お勧めに「日傘 完全遮光」という言葉を出してくる。また、「メンズ」という言葉も勧められてくる。今年の夏は、日傘を、女性向けのお洒落な道具から、完全な実用品に立場を変えさせたのかもしれない。
結局、私自身は日傘を使う事は無かったけれど、今年から使い始めたという火との話を聞くと、明らかに涼しくなるし、体力の持ちが違うと言っていた。もう今の日本の夏では、一度使い始めると、それ以降、使うのが当たり前になる道具なのかもしれない。
少しずつ、年が過ぎゆくほどに、人々の生活様式は変わっていっている。新しい生活様式が広まり、それまでの生活様式が過去のものになっていく。
願わくば、暮らしていく事が年々過酷になるのではなく、穏やかで風情のあるものに変わっていってほしいものだ。
そういえば、今年は手持ち式の扇風機もよく見かけたなぁ。あれも、新しい文化になるのだろうか。
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