お盆を迎え、藤野の各地でも祭りが行われている。疫病の影響で何年も中止が続いた末の、ようやくの祭りの再開とあって、いろいろと感慨深いものがあるだろう。牧馬の里にも一応、祭りらしいものはある。とはいえ、さすがに人口が少ないので、神輿を担いで牧馬を練り歩くなんてことは出来ない。例年、神輿を格納している小屋の扉を開けて、綺麗に草を刈って、土地の人たちで食事をする。神事らしい事も無いわけではなく、竹を四方に差して縄をかけ、幣束を垂らして、酒を捧げて・・・と言った事もする。
もう一つ、神事らしさと言えば、この年に親戚などで不幸のあった家は、この祭りには参加できない。今回はそんな家も複数あり、久々に再開した祭りにしては、人数の寂しいものになった。
こういう時に、日頃から考えている事などを語り合う。まあ毎年のことながら、イノシシや鹿の害について語り合う事も多い。木が大きくなって道路に倒れ掛かっているような、危険な木を早い内に切り倒したらどうだ、という話も出てきた。今年は割と近所のキャンプ場で、倒木が行楽客に倒れて被害を与えたニュースが全国的に流れた事もあって、大きく育ち過ぎて手に余るようになった木について、考える事も増えた。
この牧馬のささやかな祭り。ゴロゴロと雷鳴が聞こえてきたが、降り出す前に終了した。
というか、結局、雨は降らないままだった。最近はけっこうこういうことが多い。いかにもこれは、なかなか激しい雨を降らせそうだと思わせる入道雲が湧きたつのだけど、結局、降らないままで終わる。もちろん、あの入道雲の真下では大雨になっているはずだけど、自分の棲んでいる所は空振りに終わる。恐ろしいほど暑い日々が続くので、少しは夕立でも降って冷えた空気を味わいたいんだけどな。
なんか今年は(・・・というか今年も)、全国各地で水害の話があって、酷い雨に降られた印象ばかりが強く残るけれど、関東とか東北の南部とか、水不足が深刻になっている所もある。こういう話を聞くにつれ、もうちょっとバランスよく雨を降らせてくれないかなぁと思う。
その一方で、人間は長い時間をかけて、決してバランスの良くない現実に対して、技術の力を使ってバランスを整えようとしてきた。雨の少ない土地にはため池を作ったり用水を引いたり。雨が激しくて川が氾濫する所には堤防を作ったり。
問題は、地球規模でのバランスの崩れに対しては、どう対処していくかだなぁ。そもそも対処可能なのかどうか。
未来の技術の条件の一つに、「あまり熱を出さない」というのが、これから重要視されていくんじゃないかと思う。気候変動とか地球温暖化とかいった問題を解決するのに、すでに温室効果ガスの排出規制では間に合わなくなりつつあるんじゃないかと、私は思っているから。
「熱を出さない」技術として、一例を挙げれば、鉄と同じくらいの強度を持った材料を、製鉄所のような熱を発する設備を使わないで作ってしまうとか。そんな素材で今の段階で思いつくのはカーボンのような炭素系の複合材だけど、カーボンだって熱は使うからなぁ。
原子力発電所は二酸化炭素を出さないから温暖化阻止には有利と言う意見があるけれど、ウランの採掘と濃縮などに使われるエネルギーだって膨大だし、使用済み核燃料の保管に使うエネルギーも膨大になる。仮にそういった問題を解決したとしても、発電の際に大量の熱を外界にまき散らす必要がある。日本の原子力発電所の場合、その熱の捨て場は海になるけれど、これだって今後は問題になってくるだろう。
未来のハイテクというのは、徐々に「自然」に近づいていくと思う。ナイロンを作ろうと思えば高温と高圧が必要になるけれど、蚕は絹を作る際に、常温と常圧の環境だけでなしとげる。おまけに材料は石油ではなく桑の葉っぱだ。
実のところ、あまり資源やエネルギーを使わない世の中の形というのは、あちこちで目に見える形を現している。携帯電話って、今では世界中に普及しているけれど、これらの電話を、かつてのように全て銅のケーブルで通信を行おうとしたら、とても銅の量が足りないという話を聞いたことがある。
気づかない所で、資源やエネルギーを大量に使わなくても済む技術は、少しずつ進行しているらしい。
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