2023年 6月18日

 いかにも梅雨らしい日々が続いている。天気図を見れば、綺麗な梅雨前線が伸びている。北から寒気が降りてくれば天気が荒れて雷雨になったり、南から蒸し暑い空気が流れ込んで一気に夏日になったり。この急に襲ってくる蒸し暑さは、なかなか堪えるな。

 田んぼでは、既に田植えを終えた所と、これから始める所で半々といったところ。何年か前に、なかなか雨が少なくて田んぼに水を入れるのに苦労した事があったが、今年は問題なく田植えに入れそうだ。

 一方で収穫も始まっている。新じゃが、新玉ねぎ、珍しい所ではビワの実とか。だんだんと、夏の収穫の季節が見えて来ている。あと数日もしたら夏至だ。

 自分が参加している田んぼは、素人が集まってやる素朴なものだけど、一方で農業全体で見ると、いろんな動きがあるらしい。最近、こんな発表があった。

世界初!無人自動運転でコメ・麦の収穫が可能なコンバインを発売

 無人で作業を行ってくれる農業用機械。かなり大規模な農場での使用が前提の機械だろうけれど、未来の畑には、こういった機械が普通に動く時代になるのかな。ここまで大型でなくても、もっと小型の自動運転の機械も出してくれないかしらん。

 2000万という金額はお高く感じるけれど、まあ観光バスだって、漁船だって、新品の価格はそれくらいするしな。

 それにしても、知らず知らずの内に、着実に機械の無人化・自動化は進んでいるんだろう。その反面、これは熟練の人間がやらなきゃ仕事にならない、という分野もあると思う。こういう話になると、「機械が人間の仕事を奪ってしまう」という話になりがちだけど、私は必ずしもそれだけとは思っていない。

 例えば、何かの作業をする時に、あなたは機械を買ったとする。さあこれで、思うような仕事が出来るだろうと、普通は思う。ただ・・・これは私の経験則なんだけど、機械って、その所有者を試すような事をする。「はたしてお前に、この機械を使いこなせるか」と挑戦状を叩きつけられるような経験をする。

 機械を買って、早速作業をしてみる。しかし、思ったように上手くいかない。その理由がまるで判らない。機械の説明書を何度も見ながら、確認しながらやってみても、上手くいかない。ついには不具合や故障を発生させて、その対応に追われる。

 こういった、機械を購入した人にとっては理不尽とも思える洗礼を、機械から受ける。でも結局、機械を完全に自分の手足のように扱える熟練になるためには、こういった機械からの意地悪な挑戦状に受けて立って、克服するくらいじゃないと、なかなか機械はその人の物にはなってくれない。

 うーん、嘘みたいな事を書いているようだけれど、実感として判ってくれる人はいると思う。

 まあ、あれです。馬を乗りこなすには、きちんと、その馬の「主人」にならないといけないのと、似た感覚かな。道具を動かす人間ではなく、道具に動かされるだけの人間になってしまうことは、機械を入手したときにはよくある。

 あー、そこで思い出すんだけど、前回は人工知能についてちょっと書いたけど、人工知能だって、人間はそれを使う存在になるべきであって、「使われる」存在になっていいわけではない。人工知能は、まだ馬で言ったら仔馬かもしれないが、仔馬の内に、しっかりと人間自身が、その「主人」になれるように、機械を制御するすべを覚えると同時に、人間自身も、人工知能を扱う「熟練」を目指すべきだろう。

 やはり、そんな時に大事になってくるのが、「倫理」については人間がしっかりと基準を決める、という事なんだろうな。

 例えばですね、人工知能に対して、「有害物質を地球上に拡散しない産業や経済を、どうして作っていけば良いか」という問いかけをしたとする。そしたら、人工知能の方は「いっそ人間を遺伝子レベルで改造を施し、どんな有害物質にも負けない新しい人類になったらどうでしょうか。今後、宇宙開発が進んで、地球以外の惑星に乗り出していく事を考えても、そちらの方が利点は多いでしょう。」

 なんて返答をしたらどうだろう。

 人間は、人間を改造するべきなのか、それともそれは良くないことなのか。これは倫理的な問題になってくる。人工知能は、質問すれば合理的な答えは幾らでも出してくれるだろう。しかし、沢山出てくる答えの中で、倫理的な判断を求められたときに、しっかりと考えて決断ができるかどうか。

 これからも機械は発達していくだろうが、人間に「熟練」が求められる時期も、まだまだ続くと思う。

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