2023年 6月11日

 いかにも梅雨らしい天気が続く。晴れる日もあることはあるが、二日と続かず、雨を繰り返す。周りの土地は常に湿り気を帯びているので、晴れた日でも布団を干す気になれない。いつも土日は行楽の人々でにぎわっていたけれど、やはり梅雨時のこの頃は、少し人の量が落ち着くみたいだ。

 このあたりの地域では、既に田植えを終えている所もあれば、これから田起こしをして代掻きをして、6月の下旬に田植えをするところもある。それぞれ、どちらが良いのか、利点と欠点もあるのだろうけれど、そのどちらのやり方も普通に併存していて、どちらか片方が消えて淘汰されるわけではないので、まあどちらでもいいのかもしれない。

 ただ、藤野はそれでも山地なので、平地に比べれば少しは冷涼になる。なので、春のジャガイモを植えるのも、少し遅めにして新芽が霜にやられないようにしたり、秋の野菜は夏の終わりごろには早めに種を撒いて、冬の寒さが始まる前に収穫ができるようにする。そうじゃないと、平地みたいに9月の半ばになって大根の種を撒いても、大きく育つ前に冬の寒さにやられて、それ以上育たなくなる。

 とはいうものの、だんだん冬が寒くなくなってきているのも事実だからなぁ。いずれ、畑のやり方も変わっていくのかもしれない。

 なんか、これから世の中が変わりそうだなぁと実感させられる現象の一つに、人工知能の普及がある。コンピューターの発達に従って、当初はただの計算機だったのが、徐々に様々な仕事が任されるようになり、ついには世間一般の情報を集めて、設問に対する回答も出来るようになってきた。

 個人的にはなぁ、インターネットの普及が始まった時、「検索」で様々な情報を任意に選択して調べられるという事が衝撃だったけど、今はそういった調査の行為もコンピューターがやるようになった。

 これが更に進むと、「判断」もコンピューターがするようになるのかね。そうなると、その判断の基準になる「倫理」の問題にも踏み込むことになるのだけど。

 例えば人工知能に、原子力に頼らない電力供給の在り方を尋ねたとする。その問いに、あっけなく人工知能が答えるかもしれない。でも、人間社会は利権で動いているので、人工知能なんかに自分の仕事や利権を否定されてたまるか、という人々だっているだろうし、そういう人々は人々で、人工知能に命令して、「これからも原子力が電力供給にとって不可欠な理由」を作文させるだろう。

 さて、Aという人工知能は反原発で、Bという人工知能は原発容認だとすると、この二つの人工知能を戦わせたらどうなるだろうか。

 その時代環境における、もっとも合理的な判断なら、人工知能でも下せるかもしれない。ただその場合でも、「もっとも地球環境を大切にする合理的判断」と「もっとも経済的に利益の大きい合理的判断」とでは答えが違ってくるだろう。そこで、地球環境と経済と、どちらを優先すべきかと言う判断が求められる。人工知能の判断も、だんだん倫理的な基準をどこに置くべきかを迫られる。

 そのあたりの最終的な判断は、やはりまだ人間がやることになるだろう。そして、世の中が利権によって動いている以上、人工知能にも利権に従った判断を優先するような圧力が働くとは思う。

 ただ・・・、これはぼんやりとした私の予想だけど、いつかは人工知能の判断が、人間の利権を越えたところで動き始めるのではないかと思っている。

 これから人工知能が更に当たり前のように使われると、その使い方も洗練されてくるに違いない。使う人も当たり前のように増えて行くだろう。ちょうど今、インターネットで「検索」を当たり前のように人々が使うように。

 世間一般で、人工知能による、合理的な解決策が普通に大量に使われるようになると、世の中のどの部分で、非合理的で、非倫理的な判断が働いているかが目立つようになってしまう。

 そのあたりから、たとえ利権があっても、あまりおおっぴらに、非合理的、非倫理的な手段はとりにくい時代になっていくのではないか。

 世間では、いや、世界では、様々な問題があるけれど、人工知能の発達と普及は、徐々に、世界に起きている諸問題を、明確に浮かび上がらせて、世間の目に当たらせる流れを作っていくのではないか。それは、権力の思惑すら超えるものかもしれない。

 ちょっと、宗教改革を推し進めたのが、活版印刷の発明による、聖書の民間への普及があったことを思い出した。

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