2023年 5月7日

 今年の五月の連休は、ある程度予想はしていたけれど、なかなかの人出だった。やはり、疫病の影響を脱して、いよいよ思いっきり遊ぼうと言う気持ちになったのか、連日のようにあちこちで渋滞が発生する。こんな状態になると、うっかり近所のスーパーに買い物に行こうものなら、渋滞にはまって帰るに帰れなくなる。道志の道は、午前中は山中湖方面へ向かう車の列ができ、午後はそこから帰る車の列ができた。

 道志川沿いのキャンプ場にもかなりの客が来ていた。実のところ、今回の連休でどのていどキャンプ場にお客が来るか、蓋を開けてみないと判らない所があった。疫病が流行っている時もキャンプ場は賑わっていたけれど、それは、キャンプ場のような屋外の開放的な所で遊ぶのなら、疫病の心配も少しは薄れるだろうという思惑が働いたからではないか、という話が合った。いつもだったら屋内のレジャーを好む人とか、飛行機で海外に遊びに行く人もキャンプ場に来たので、キャンプ場が賑わったのではないか、と。

 その分、疫病明けとなると、かえってキャンプ場に来る客は少なくなるかなぁ、なんて気持ちもあったようです。

 さすがに連休最終日の今日は、雨も降った事もあり、だいぶいつもの落ち着きを取り戻しました。じきに「藤野ぐるっと陶器市」の日がやってきます。これも混むんだろうな。

 連休の交通渋滞には、巻き込まれないように、なるべく家の用事を片付けていました。それでも一日だけ、遊びに行きましたけどね。

 ただ、こういった渋滞も、人口が減っていく世の中を考えると、未来のいつかでは、懐かしい光景として思い出すのだろうか。休日でも閑散とした観光地という未来だって、ないわけではない。あまり、都会からのお客だけをあてにした観光地というあり方にも、問題はあると思う。

 やはり観光地といえども、その土地ならではの第一次産業や第二次産業があり、つまり農業や工業があり、観光以外でも自立した雇用があって、人々が持続して暮らしていける基盤がある事が理想だと思う。

 ここで一つ気になるのが、これから第三次産業に打撃が始まるんじゃないかと言う話があること。人工知能の発達で、これまでサービス業で働いていた人々の多くの職が、コンピューターにとって代わられるんじゃないかという話題が、近年は冗談抜きで語られるようになってきた。

 芸術の世界でも、人口知能を使って手塚治虫風の漫画を作ってみたとか、ビートルズ風の曲を作ってみたとか、なんだか人間に出来ることはすべてコンピューターでもできそうな勢いになってきている。そんな人工知能の進化に、面白いと思う反面、不気味さを感じるのも事実だ。

 たぶん、今さら時代を過去に戻す事は出来ないから、人口知能が発達した社会に突入する事自体は避けられないと思う。結局、問題はそんな時代をどうやって作っていくかと言う話になるのだろう。

 まずは、そんな時代になって、仮に大量の失業者が出る事態になったとしても、人々を安心させる基盤を作る必要がある。でもそこで、「じゃあこれから人々は何をしたらいいんだ」という問いかけは、より一般的な問題になって来るのだろう。肉体労働は機械がやり、頭脳労働はコンピューターがやり、文化や芸術までコンピューターがやるようになったら、どうしてもそういった問いかけが浮かび上がってくる。

 期待と願望を込みで予想すれば、未来の世の中では、感動とか生き甲斐が、もっと重要視されるようになるのかなと思う。同時に、心と体の健康も重要視されるようになるのではないか。

 これは、あまりにも期待と願望を込み過ぎた甘い予想かもしれない。人工知能を使った犯罪や戦争が横行する暗黒の未来だって、絶対に無いとは言えない。ただ私には、最終的には、人口知能の使い方も、他人から何かを奪う目的で使うのではなく、奪い合いをしなくても良い世の中の作り方を、一緒に考える相棒のような使い方が主流になるような気がしています。

 やはり、これからは少し、静かで穏やかな時代になるのかなぁ。人々が、仕事に追われて目先の金儲けしか考える余裕がない時代が終わり、いやがうえでも、幸せとか生き甲斐とか、感動とかを考える時代になると思えば。

 案外、こういった時代変化の直撃を受ける最大の場は、政治の場かもしれないな。どうしてもあそこは、欲望と闘争の場で、他者を踏み台にしても自分がのし上がろうとする場でもある。人工知能が普通に普及した未来、ここはどう変容するのだろう。

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