2023年 4月23日

 山はすっかり深い緑色に染まった。そこかしこに藤の紫色が目に付く。今年は、例年よりも藤が盛んに咲いているように見えるが。

 普通に見る人が見れば、綺麗な花に見えるかもしれないが、昔から山里に住んでいる人から見ると、山に藤が散見される光景と言うのは、「汚く」見えるらしい。かつて山里に人がもっといて、山里を活かした産業も盛んだった頃、山に藤の姿を見る方が稀だった。今よりもずっと山を活用していたので、山の上の方まで畑が広がり、植林は丁寧に枝打ちも行われて藤のつるは除去され、木炭を作るために定期的に山の木々は伐採されていた。そんな光景を覚えている人にしてみれば、山の木々の中に藤の花があちこちに咲いている光景は、畑が放棄されて雑草が荒れ放題に生えている光景と、同じように感じるらしい。

 植林された杉の木に藤がからみついて、まるで杉の木か藤の木かわからないような光景もあるからね。このような藤の繁殖は、そこに元から生えていた木を、やがて枯らしてしまう。

 藤野は、名前に藤が付くだけに、藤が盛大に咲いている山の光景は、いかにも藤野らしいと考える人もいるかもしれない。観光客相手にはそういう説明も、既にされているのかもな。でも、山里に活力のある人々の営みがある事が理想ならば、藤の花が目立つと言うのは、決してその土地にとって名誉なことではない。

 ちなみに、「藤野」という地名の藤は、植物の藤ではないと、以前、地元の郷土史に詳しい人から聞いたことがある。

 藤野は相模川(この辺りでは桂川と名を変える)に沿った地域にあるが、この川の両岸には河岸段丘が形成されている事が多い。藤野にも、そのような河岸段丘がある。ほんらい、「フチ」という言葉は、川にせり出した段丘の事を指していたのだとか。藤野という地名は現在の中央線の駅周辺の地名だったが、この藤野を含んだ地域の名前は「小渕」という。実際、藤野地域も小渕地域も、相模川に接していて、相模川をのぞき込むような、段丘の崖の上にある。

 とはいうものの、今ではすっかり、「藤野は藤が多いから藤野だ」と思っている人も多いだろうし、そう説明している人も多いかもしれない。しかし、繰り返しになるが、山に藤が多いというのは、そこに住む人が山の手入れを放棄して荒れ放題になっているという事でもあるので、「山に藤が多い里」なんて、名誉じゃないんだよなぁ。

 藤と同様に、放置されて山が荒れ放題になっている光景の象徴の一つに、竹林の拡大がある。これも藤野では、残念ながらあちこちで見られる光景になった。

 もともと、山に住む人が積極的に竹を食料や資材として使いまくっていれば、竹林が勝手に拡大することもなかったのだろうが。

 しかし今は、竹林に手を入れる人もいなくなってきた。そもそも山に住む人が少なくなって来たし、これからシーズンの本番だけど、タケノコを採りに山に入る人も減った。竹林にも、一歩足を踏み入れればすぐに判る「美林」もあれば、竹が無造作に生えて、あちこちに倒れた竹が折り重なって人の歩みを阻むようになった、荒れた竹林もある。今では荒れた竹林がすっかり増えた。

 それでも、なんとか山里に住んでいる人の中には、竹がやたらと増えるのを防ぐために、タケノコを食べる事もなく倒して回る人もいる。もったいないようだけど、こうでもしないと、いつの間にか住んでいる家の側まで竹林が迫ってきて、家が空き家の場合は、家の中に竹が生えるような事態だってあるからな。

 一昔前には、竹を食用や資材として使うだけでなく、燃料として使う事も多かった。竹は油を含んでいて、なかなか高温で燃えてくれる。高温すぎて、薪ストーブなんかに使ったら、薪ストーブ本体を痛めることがある。よく、薪ストーブの使用にあたっての警告文に、「竹は使ってくれるな」と書いてあるのは、そんな理由からだ。

 また、竹は燃やすと酸を出すらしく、それも薪ストーブを痛める要因になるのだとか。

 でも昔の人は、竹を切って適当な大きさにして積み上げて、風雨に曝される状態にして、茶色くほどよく枯れるようになってから竹を燃料にしていた。

 この状態までいくと、竹を燃やしてもそれほど極端に高温にならず、また酸もそれほど出ないのだとか。

 こういった、竹を燃料として使う際の知恵も、今では知る人の方が少ない。石油価格の高騰が心配な今、こういった竹を使って、風呂釜に使う人が増えても、いいんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう。

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