今年の新緑は急ぎ足の感じがする。普通、4月始めの山の色合いは、もっと淡いものだが、すでに鮮やかな若葉の色が目立つようになってきた。例年よりも1~2週間、季節の進行が速い感じ。すでにシャガも白い花を咲かせ始めているし。
この春は妙に暖かいからな、と思ってたら、この週は寒気が降りてきて荒れた天気が続いた。今日(9日)、その寒気の影響でけっこう寒い経験をした。
この日は統一地方選挙の投票日だった。そして、私は自治会から投票所の立会人を依頼されていた。投票所は篠原の里。そこに6時半に集まり、投票所での作業についての説明を受けて、7時から投票所を開いて有権者を待ち受ける。
で、この投票所なんだけど、そういうルールがあるのか、扉を開けたまま投票に来る人々を待つことになった。この日は前日から厳しい寒気が降りてきて、昨日は天気が荒れて大雨が降ったりしたが、この日は朝から快晴になった。それだけに放射冷却も進み、朝はかなり冷え込んだ。
まあ、そんな状態で戸を開けっ放しでしたからね。ストーブは着けてたけど、なかなか寒かったですよ。午前10時頃にはだいぶ暖かくなりましたが。
山の中の小さな投票所で、夜の8時まで座って立会人を続けるのは、途中休憩があったとはいえ、なかなかくたびれた。篠原の投票所には、投票に来る人は100人もいなかったが、「夜の8時までやる必要あるのかな」といった疑問を打ち消すように、7時半に投票に来る人もいた。
こんなふうに、投票に来る人を、一人ひとり見ることができる機会というのは、なかなか貴重だ。この場に居合わせると、どういう人たちがそれぞれの思いを抱えて投票所にきているのか、理屈ではなく実感として判る。
実を言うと、立会人を引き受けたのはこれが2回目。前回やったのは何年前か忘れてしまったが、ずいぶん前だった気がするな。とはいえ、私が藤野に越してきて20年程度だから、昔と言ってもそのくらいなんだけど。
で、今回の立会いを経て、前にやった立会いとの違いが、私には興味深く感じられた。
前回の立会いのときの私の印象は、「とにかくお年寄りが多かった」、というもの。これは当時の篠原が高齢者ばかりだったという意味ではなく、こういった山里のお年寄りは、ほとんど投票率100パーセントと言っていいくらい、確実に投票所に行っていたのだと思う。
それが今回は、若手(30代から50代)の姿の印象が残った。
かつて元気だったお年寄りが寿命で亡くなっている、という事もあるかもしれないけれど、それでも今のお年寄りだって数多くいるはずなんだけど、なんか印象が薄い。以前見たような、「お年寄りは100パーセント投票に行く」というような気迫を感じない。
これって、あれかなァ。これまで日本の選挙の大きな力を占めていた、高齢者の有権者の力が衰えたという現れなのだろうか。その一方で、30代から50代くらいの人々、それも、篠原の外から引っ越してきたような人々が、「私は真剣に考えて投票所に来ましたよ」という雰囲気を感じさせながら目の前を通り過ぎていく。
まあこれは、篠原の投票所だけの現象かもしれないが。
なぜか知らないけれど、私としては、最後に残っていた20世紀らしさが終わりつつあるような気がした。21世紀になっても、最初の4分の1は、まだ20世紀の残り香を留めているだろうけれど、そろそろ、その残り香も消える時が来るのかもしれない。そして21世紀の本番が始まるのかもしれない。
これは良い事ばかりではないだろう。21世紀には21世紀なりの、良い事と悪い事が起こり、それらはまた22世紀になった時、始めの25年程度は、21世紀の残り香を留めるのだと思う。
たぶんこれからは、いままでの常識のままでは世の中が動かない状態が、少しずつ、少しずつ、現れていくんじゃないのかなぁ。これは、突然に起こるというものではなく、気づかないほど少しずつ進行するものだと思う。
たぶん、篠原の投票所の光景は、昭和以来の長年に渡って続いてきた光景が、いつのまにか終わりを告げていた、静かな現れなんじゃなかろうか。高齢者が有力な票田だった時代は、静かに終わりつつあるのかもしれない。
0コメント