2023年 3月12日

 山の木々の中でも、一番最初に芽吹く木々に春が訪れた。まだ探すのも難しいような小さな始まりだが、これから加速するように芽吹きが続く。この時期は、沢の水が少なくなる傾向がある。ただでさえ冬は降水が少なくて沢の水が減りがちだが、山の木々が春に向けて一気に水を吸い上げ始めているのだろう。フキノトウも顔を出し始めた。

 今年は順調に暖かくなってきているみたいで、その上、春の訪れが早いようだ。ハクモクレンも咲き始めているし、桜の開花も見られる。前回の日記でも書いたけれど、杉の花粉もなかなかすさまじい。例年よりも、一回りか二回り、飛散する量に厚みを感じる。

 まあそれでも、山里の地面はほとんどが土なので、花粉も最終的には土に帰っていく。これがコンクリートとアスファルトに包まれた都会では、花粉が土に吸収されることも無く、いつまでたっても風に舞い続けると言うが。

 私としては、花粉症にはなっていないけれど、この季節になると眠気に襲われるな。暖かい空気に体がなじむと、これまでの冬の寒気に対して身構えていた緊張がほどけるのだろう、冬の疲れが出たかのように眠くなってしまう。まあ、素直に寝た方がいいのかもしれない。

 寝たいんだけど、年度末だからねぇ、やる事は次から次からと多いのだけど。

 平成が始まった頃から、右傾化と呼ばれる現象が出てきたが、それが寿命を終えて解体に向かっているように見える。もっとも、私はこの現象を右とか保守とかとは、別のものとして観ている。率直に言ってしまえば、これはカルトに近い。

 始まりは、戦前の日本の肯定化からだろう。そして、日本の失敗や敗北、恥を反省する態度を「自虐」として批判していた。私としては、このような出発点から始まった流れが、やがては自らが発した毒が自分自身に回り、自家中毒を起こして終幕を迎えることは、なんとなく予想できていた。

 つまるところ、自分の信じたいこと、自分にとって有利で心地よい事は信じて、それを批判することは「自虐」だと決めつけて馬鹿にする姿勢。この姿勢の行き着く先は狂気しかない。

 こんな比喩を考える。あなたは学生で大学受験を控えている。しかし、あなたは受験で落ちてしまう。また、あなたが自分よりも頭が悪いと思っていた知人が、その大学に合格していると知る。その事実に耐えられず、あなたは「あいつは大学の関係者に金を渡して合格を買ったんだ」と思うようになる。

 「思う」所までは狂気ではない。それが「信じる」所に行くと、もはや一線を越えてしまう。

 自分の信じたいことだけを信じ、自分にとって心地よい事だけを信じ、過去を批判したり反省したりすることを自虐だとか反日だとかで叩く。この性質の行きつく先は、主観の暴走であり、客観的自省の放棄だ。

 こういった性質が怖いなぁと思う話に、こんな噺家の語った言葉を思い出す。

 他人の落語を聴いて、こいつ下手だなと思った人は、だいたい自分と同じ水準の実力。こいつは自分と同等の実力だなと思った人は、自分よりも高い実力を持っている。そして、この人は上手いなと思った人は、自分よりも遥かな高みに位置しているものだ、と。

 人間は、どうしても自分自身の評価については甘い点をつけてしまう、そんな性質についての戒めだ。だからこそ、常に意識的に、自覚的に、自分自身の評価については厳しくなければならない。冷静な客観的な視点を失わないように日頃から注意を心がけ、自分に対して批判的な意見に対しては謙虚に耳を傾ける姿勢を失わない。芸事に限らず、何かの道を究めようと志す人々には、必須の資質だろう。

 自分の好きな事だけを信じ、自分の気に入らない事は信じない。この性質を引きずったまま、世界のありようを正確に知る事は不可能で、それは自分に都合の良い世界観に歪まれる。

 世界を正確に見ることができなくなると、もはや世界で成功することは難しくなる。世界を正しく見れず、自分の実力も正しく見れず、どのような対策が有効かの判断も不正確になる。これで上手く行くはずが無いし、上手くいかなかった結果に対しても、これは自分が悪いわけではないと、自分自身を反省することを拒む。

 最後は、上手くいかなかったことに対して、「これは世界が悪い」と世界を呪う方向に逃げる。結局、オウムもそうして世界を敵として認定して自滅していったが。

 自分自身に対する謙虚で厳しい姿勢が、これから改めて求められる時期に来ていると思う。

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