2023年 3月5日

 雨交じりの夕方、少し奇妙な虹を見た。なんでも空気中に花粉が大量にあると、こういう虹が現れるらしい。そいえば、このところ辺りの杉林からは、風が吹けば山火事の煙かと疑うような花粉の煙を立てている。こんな光景、花粉症で悩んでいる人にとっては地獄のように見えるだろう。自動車のガラスも、数日で花粉で黄色く汚れてしまう。

 ただ思うのだけれど、花粉症って、数十年前までは、それほど知られた病気ではなかった。むしろ、そんな病気が存在するなんて知らない人の方が、圧倒的に多かったと思う。また、花粉症に悩んでいる人も、自分の症状が花粉から来ているとは知らない人も多かった。

 それが、いつしか誰もが知る病気となり、患者も珍しくなくなった・・・どころか、発症していない人の方が珍しい勢いである。これは、何か構造的な問題があるはずで、その問題が判って有効な対策が立てれば、花粉症の患者が激減する未来、花粉症と言う病気の存在が忘れ去られるような未来だって、在りうると言うことではないか。

 こんな記事を読んだけど。

 乳酸菌を含んだ発酵食品を多く食べると、腸内環境が改善されて花粉症の症状を抑える効果があるらしい。昔はぬか漬けのような漬物を多く食べていたし、味噌だって、昔は酵母や乳酸菌が生きたままの生味噌が普通だったろう。

 昔は現代ほど食料に恵まれていなかったかもしれないが、発酵食品に関しては、食品の工業化が進んでいないだけに、今よりもずっと濃厚な酵母や乳酸菌を食べていたのだと思う。もちろん、食品の発酵を製造過程で停止させるのも、必要な措置だろう。生のままだと、どんどん発酵が進んで風味が変わってしまう。消費者に、安心して常に同じ風味を提供しようとすれば、どうしてもそんな措置が必要になる。

 ただどうだろう。真剣に花粉症に悩んでいる人なら、そんな一昔前の食品を試してみるのもいいのではないか。まあ花粉症は一例だけど、案外、一昔前、半世紀前の方が、人間は健康だったんじゃないかと思うことがある。体だけではなく、心の健康も、現代は蝕まれた人が多い。

 この日記では時々、人口が減っていく世の中というのは、すでに病的ではないか、と書いて来た。その点も含めて、もっと人々が健康を取り戻せる世の中の形を、真剣に模索する時期にきているのではないか。

 話はちょっと変わるのだけど、このところ自分の身の周りでも、労働力不足が目に見えて来ている。会社としては長年に渡って利益を出し続け、周囲から良質な仕事をしてくれる会社として頼りにされているのに、職人がいなくなったとか、後継ぎがいないとかで閉業する例が多い。

 そうなると困ったもので、じゃあ同様の仕事が出来る他の会社を探そうにも、これがなかなか難しい。ようやく同様な仕事をしている所を見つけても、「既に今までの依頼をこなすだけで精一杯で、新しい仕事を請け負う余裕が無い」と言われたり、幸いにしてやってくれる所を見つけても。それまでの所よりも値段が高くなるのが普通だ。まあ少々高くなっても仕方がないかと思って依頼を続けていると、どうも品質が安定しない。しばらくすると、「やっぱりうちではできない」と言われたり、「やるだけやってみたけれど、値段を上げてくれないとこの仕事はできない」と言われたり。

 そんな話を聞くだびに、どこの会社も、「若手がいないなぁ」という印象を受ける。なんでも、求人を出しても応募する人が来てくれないと言う。一昔前なら、最低賃金でも働いてくれる人は次々と見つかったものだけど、もう今はそれでは無理になってきている。

 もう一つ感じる傾向は、アイデアを出したり企画したり、デザインする人はまだ数に余裕があるかもしれないけれど、それを実際に手足を使って形にする職人がいないという事。まだ現場に職人がいる所だって、その年齢は60代だったり70代だったりで、後継者がいない。

 日本はモノ作りの国なんて言われているけれど、実態は、かなり空洞化してぼろぼろになっているのではないかと思う。

 腸内環境の悪化も病的だけど、知恵は出すけど手足は動かさない人間ばかりの世の中も、そうとう病的だろう。

 人は植物を愛する時、花や実を愛することはしても、葉や茎や、ましてや根っこを愛する人は少ない。人々が泥臭い仕事から離れた時、人々が微生物の食品から離れたのと似た、病の現象が起きるのかもしれない。

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