2023年 2月26日

 早いもので、2月も終わりを迎える。既に真冬の寒さは峠を越えているが、たまに春の暖かさが来た後に、じわじわと冬の寒さがやってくると、妙に体にこたえる。風邪を引きやすいのは、真冬の真っ盛りよりも、むしろこんな気が抜けかけた時の寒さかもしれない。三寒四温というよりも、まだ五寒二温といった感じだが、これから徐々に春へと向かっていくのだろう。

 ただこのところ、去り行く冬に対しても「名残惜しい」という気持ちが湧く。普通、世間一般では、名残惜しいという感情を季節に向ける時、冬は語られないように思う。春や夏や秋は「名残惜しい」という表現が付くことはあるが、冬はあまりみられないようだ。

 春は芽吹きの季節であり、生命が溢れかえり、花見だとか山菜取りだとか、湧き出す生命に喜びを感じ、また気候も過ごしやすい。夏は厳しい暑さはあっても、海や山へ遊びに行く行楽の季節でもある。秋は収穫の喜びもあるし、爽やかな気候と紅葉の美しさもある。いずれも喜びや楽しみの多い季節だが、これが冬になると、生命の多くは活動を停止して、あたかも死んだように眠りにつく。そりゃあ、スキーだとかスケートだとか、冬ならではの遊びもあるけれど、多くは厳しい寒さに身をひそめるようにして、じっと耐えて春を待つ季節という印象がある。

 冬は「名残惜しい」というより、「早く春が来てくれ」と春を待つ季節として語られることが多い。

 確かに厳しい季節なのだけど、個人的には、冬に対しても、他の季節同様に「名残惜しい」という気持ちを抱くようになった。まあこれは、私が住んでいる所が、冬でも大雪の被害のない、日照に恵まれた関東に住んでいるからかもしれないが。

 葉を落とした山の木々、弱く低い日照、死んだように静かに眠った山に寒風が吹き抜ける。生命の喜びとは最も遠い所にある季節かもしれないが、去り行く冬に名残惜しさを感じるのは、そんな冬の光景に美しさを感じているからだろう。

 本来だったら「早く終わってくれ」と拷問のように感じている季節を、美しく、喜びのあるものとして観るというのは、大げさに言えば、「末期の目」で冬を見ているからだろうか。いや、別に私はすぐに死ぬわけじゃないし、死を身近に感じているわけではないのだけど。

 ただこんなふうに思う。いずれ自分もこの世から旅立つ日が来るが、もしこの世に魂というものがあったとして、その魂が地上を離れて天に旅立つとき(まあ私は天よりも地の方に落ちて舌を抜かれる方だと思うが)、たとえそれが冬の景色でも、名残惜しいと思うのではないか、と想像してしまう。

 いや、そこまで大げさに考えなくても、例えば何かの病気で数か月どころか数年、病室で寝込むようになった場合、厳しい冬の季節に対しても、冬枯れの山を残雪をよけながら歩いた記憶を、懐かしく、いとおしく思うのではないか。

 そんな目で見ると、増税も物価高も、いとおしく、美しく感じる・・・わけがないな(笑)。

 話はぜんぜん変わりますが、漫画家の松本零士さんが亡くなられたとのこと。

 自分と同世代なら、宇宙戦艦ヤマトも銀河鉄道999も見ていると思う。その意味では、その世代では誰でも通過した漫画ともいえるかもしれない。

 しかし、個人的には、そこまで自分のこころには深く突き刺さらなかったなァ。なんかこの人の漫画って、男はかくあるべき、人はかくあるべき、理想に向かって困苦を乗り越え、挑戦し続ける魂こそが若さであって・・・というのが、どこか苦手だった。

 九州男児って、みんなこういう思想なんでしょうか。

 ただ一方で、こういった主張をまっすぐに語る人間が、今では貴重になってきたようにも感じます。たぶん、松本零士自身、上京する時は、この映画の主人公と同じ気持ちだったのかもしれない。

 また一方、この人って、単にまっすぐなだけの人間でもなかったはずで、強い屈折も抱えていたみたいです。どこか最後まで、へんなおじさん、みたいな所があったな。若い時の劣等感を引きずっているみたいな。漫画の中には、必ず美形と一緒に、ブサイクが出てくる。どちらも作者の投影だと思うけれど。

 引用した映像の英語の字幕には誤りがあって、歌のさびの部分で英語で歌う所の歌詞は、「I'm leaving I'm flying I'm taking off to the unknown」が正しいです。

 うーん、やっぱり、最近はこんなふうに、未知の世界に飛び立つ若者を、希望を込めて描く作品って、見なくなっているような気がする。それはそれで、まずいんじゃなかろうか。

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