2023年 2月5日

 節分、そして立春。畳の目の一つづつ一つづつ、陽は伸びつつあるが、2月いっぱいはまだ冬だからね。相模湖の朝は、湖面から蒸気が立っている。朝の空気よりも、湖の水の温度の方がずっと高いのだろう。ちなみに上の写真に写っている、下のビニールハウスのような形の船は、寒風に当たらずにワカサギ釣りができる覆いのある船です。

 それでも春の訪れは形になって現れていて、梅やオオイヌフグリの開花もあるけれど、杉花粉に悩み始める人が出てきた。そういえば、既に杉の木々は赤くなっている。

 冬の峠を越えてくると、今度は雨や雪の回数が増えてくるだろう。これから、週に一回程度の降水があるようになると、春に向けた勢いも加速していく。そうなると、冬の間にしておかなければならない仕事に追われることになるな。伸びすぎた木の剪定とかは、葉を落とした今の時期がやりやすい。

 今回の冬は、いかにも関東の冬らしい、青い晴天の続いた降水のほとんどない冬だけど、こうなると畑に耕運機をかけるのも楽だ。天地返しは普通は秋の仕事だけど(微生物の活動を促進させるには土の温度が高い必要があるため)、冬のさらさらに乾いた土なら、土を掘り起こしてかき混ぜるのも苦にならない。雨で湿った土だと、耕運機をかけても粘るばかりで大変だからね。

 電気の値段が上がって、特にオール電化の家なんか大変みたいだ。

電気料金がこんなに...オール電化の一戸建て、1月1万5000円増

 こんな世の中になると、また太陽電池に人々の関心が向くようになるのかなぁ、と思う。

 実のところ、これまで太陽電池は、本来の意味での魅力的な道具ではなかった。補助金が無いと導入に踏み切れない割高な価格だったり、高い金を払って太陽電池を取り付けても、発電して余った電気を電力会社に買ってもらっても、10年以上続けても元がとれるかどうか、という感じだったし、環境問題に積極的に関心のある人か、経済的に余裕のある人が導入するようなものだった。それに今では、かつてのような価格では、電力会社は電気を買い取らなくなってきたし。

 また太陽電池が普及しはじめた当初は、太陽電池の強みを発揮できないような仕組みが世の中にあった。例えば、災害などで地域一帯が停電した時、自分の家の屋根の上の太陽電池なら、周囲が停電でも問題なく電気が使えそうなものだけど、それは出来ないきまりになっていたんだよね。後になって改善されたけど。

 もちろんこれは、停電時に勝手に太陽電池の電気を電線に送り込んだら危険という理由があったからだけど、太陽電池を災害時の電力として積極的に使おうと言う意識は、あまり高くなかったと思う。

 ただ、ここまで電気代が高くなるとなぁ。補助金もいらない、発電して余った電気を電力会社に買い取ってもらうつもりもない、余った電気なら自分で電池を買って充電する、そんなシンプルな太陽電池の使い方でも、十分に元が取れるんじゃなかろうか。仮に元が取れなくても、世界の情勢の変化で電気の値段が急騰する危険性からは、離れた状態で暮らすことができてくる。

 ちょうど、上水道も使うけれど、雨水も溜めておいて、洗車や庭の水やり、水洗トイレの排水とか、殺菌の必要性のない水に雨水を使うような生活に似ている。電力会社の電気も使うが、天の恵みの範囲内の電気も使う生活。

 もっともこれにも、困難な道がある。自分自身に、太陽電池に関する知識、電気工事に関する知識が必要になる。少々の故障や不具合なら自力で治せる実用が欲しい。それに、太陽電池で発電する電気は直流だけど、一般家庭で使われる電気は交流になっている。発電した直流の電気を交流に変えるインバーターが必要になるけれど、インバーターが寿命になって壊れたら、自分で次のインバーターを買ってきて工事したり、性能の低下したバッテリーを更新したりと、太陽電池の設備全体の維持や管理、保守に更新といった運営をすることになる。結構、頭も実力もいる作業だ。

 でも、もしかしたら、これからしばらくの間、電気に限らず、衣食住に関する基本的な事柄を、自力で何とかできるような知恵と実力のある人が、生き生きと活動していくのかなぁとも思う。自分のアタマでは何も考えず、値上がりし続ける品物を、無批判に受け入れるのではなく、自分で考えて自分で何とかしてしまう人たち。

 生活力のある人、と言えば、これまで単に収入の多い人を指していたけれど、これからは本来の意味に近づいていくかもしれない。文字通り、衣食住の生活を自力で切り開ける人と言う意味で。

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