冬至からひと月過ぎた。冬至の頃は夕方の5時になるとすっかり暗くなっていたが、今ではだいぶ明るくなった。ただ、「大寒」という季節であるのは確かで、しんしんと肌に染みてくるような寒気が降りてきた。シベリアあたりでたっぷりとため込んだ寒気が、波のように押し寄せているのだろう。とはいえ、寒さもそろそろ峠ではあるのだと思う。春はまだ先だが。
空気そのものが冷気を含んでいると、たとえ晴れていても、外で布団を干してもなかなか暖かく膨らんでくれない。こんな時は、陽の当たる縁側の廊下とかに布団を敷いて、ガラス戸の中で陽に当てた方がいい。やはり、陽の光を十分にあびて膨らんだ布団に寝るのは、この季節では有難い快楽の一つでもある。
急に冷え込むと、道路の凍結が心配になる。行政は、凍結の心配がある状況の時には、ちゃんと塩カルを道路に撒くのだが、それでも運悪く凍結路に遭遇する事はあるからな。橋の上とか沢沿いの道とか。あと、どういうわけか、なぜか道路のここだけ霜が降りて真っ白になる、という場所もある。
こういった話は、その土地に住んでいる人でないと判らない。行楽の車やバイクなどは、「なんでいきなりここだけ凍っているんだ」と、肝を冷やす事だろう。基本は、あまり早いスピードは出さないことだ。
ドラマーで作曲家の高橋幸宏さんが亡くなった。個人的には、この方のドラムや音楽について、特別に思い入れがあるというわけではない。ただ、多くの人々が、この人のドラムに心を寄せているのは知っている。ドラム好き、耳の良い人には、「ああ、このドラムは、あの人にしか出せない魅力が詰まっている」と判るらしい。私にはそこまでの耳がないのが残念だ。
ただ、「あの人にしか出せない魅力」という事は、ドラマーによって、ドラムの音色に個性があるという事で、その個性にも、人の心をつかむ個性と、つかめない個性があるという事になる。
高橋幸宏さんがYMOのメンバーの一人であることは、さすがの私でも知っている。そしてYMOが音楽にコンピューターを全面的に取り入れて作曲をしてきたという事も。
以下のリンクした動画に出て来るけれど、YMOの3人の天才がコンピューターを使って音楽の制作に乗り出して、ひたすらコンピューターだけの無機質な音楽を作るかと思いきや、今度は「コンピューター」のフィルターをかけて従来の音楽の持っていた魅力を分析しだす。そして、音楽の魅力の理由の一つに、決して音楽は正確で均整のとれたものではなく、むしろ正確で均整の取れた所から少し「ずれた」ところに、人の心を打つ要素がある事を再認識する。「ずれ」と言っても「揺らぎ」と言ってもいい。
魅力的なドラムには、コンピューターの出す正確で均整の取れたリズムではなく、人の心を酔わせる「揺らぎ」があるのだろう。
そう考えてみると、YMOも結局は、コンピューターの音楽と言うよりも、コンピューターを使いながらも、アナログの「揺らぎ」の魅力を知っている奏者の力が発揮されていたのだと思う。ドラムと言えば、私なんて、真っ先にコンピューターに置き換わってドラマーが不在になってもかまわないかのような印象があるが、魅力的なドラマーの存在が最後まで不可欠だったのは、YMOにとって必然だったのかもしれない。
さて話は変わるけれど。
近年、コンピューターは更に発展し、人工知能と呼ばれて、さらに高度な事をするようになってきた。その一つに、望みの絵を要求すれば、その通りの絵を描いてくれる人工知能も現れて、これが世界のイラストレーターに結構衝撃を与えている。私自身も、思いのほか早く、時代が進むものだと感じた。
でも、もしかしたら、コンピューターが絵を描く時代になったら、そもそも人間の描く絵の魅力って、どこにあるかの、分析と再認識が迫られるかもしれない。そして、音楽同様に、その魅力は「ずれ」とか「揺らぎ」にあるということになるのだろうか。
もっとも、最近のコンピューターなら、その「ずれ」や「揺らぎ」も再現しそうな勢いはあるけれど。
もう一つ、人間に出来てコンピューターに出来ない領域に、「何かをやりたがる」という動機がある。人間と同じレベルの創作はをコンピューターが出来るようになるかもしれないが、コンピューターが自ら進んで創作の欲求を持つわけではない。
前々回の日記から、そろそろ人間は、本当に心の底からやりたいと思うような事をやってみてはどうだ、と言った事を書いているが、人間がいやいややるような仕事はコンピューターにとって換わられていくだろう。そうなると、人間に残された仕事と言ったら、自らやりたい事しか残らなくなる。
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