この土日で、久しぶりの雨が降った。長く乾燥が続いた後の雨だったが、川の水量を増やすほどの降りは見せず、少し空気を潤す程度で終わった。まだしばらく火災の心配をする時期が続くのだろう。
雨が通り過ぎたせいで、少し冬の厳しさが緩んだ。まあ、また寒波が来るとは思うけれど。「寒い寒い」と人は言うけれど、土地の古老の話を聞けば、あの川もあの滝も、冬になれば必ず凍ったものだ、という話も出てくる。半世紀前と比べれば、圧倒的に温暖化は進んだのだろう。
この冬は豪雪に見舞われたり、それも世界各地でも寒波の話があったりと、寒い冬の印象を受けるけれど、実際はどうなんだろう。逆にスイスでは極端な暖冬という話も聞くが。世界各地で寒波や豪雪のニュースが流れると、まるで温暖化は進行していないような感じになるけれど、気候変動は地球全体の平均気温で調べないといけない。
だいたい、寒波や豪雪はニュースになりやすいが暖冬はニュースになりにくい。そりゃあ前者は災害や生活への影響、酷い場合は死者も出す事態になるので、優先して伝えるべきニュースなのは判る。でもその一方で、ニュースとして伝えられない暖冬の話も、スイス以外にもあるかもしれない。
前回の日記で、日本が賑やかに成長していた時期が遠い過去のものになり、衰退に転じている・・・と言ったことを少し書いた。それをどうにかするためにも、「ここらで、少し自分が心の底から楽しいと思えることをしてみたらどうだ」と言った事も書いた。
とにかく現代では、家を富ますという事が、ひどく難しい事態になっている。富ませるどころか、「経済的に難しいので、子供は二人目は諦める」という世帯が増えれば、日本の縮小は避けられないし、実際にその通りに進んでいる。今の政府には、こうすれば個人も家族も豊かに幸せになれる、という方程式を描けないでいる。そして縮退を留めるアイデアも無い。せいぜい、子供のいる世帯に小銭をばらまくくらいしか。
現代社会において、豊かに幸福になる方法は二つしかない。一つは新技術によって、それまでできなかったことが出来るようになること。新しい薬ができて、それまで治らなかった病気が治るようになったり、冬でも暖かく夏でも涼しい暮らしが出来るようになったり。
もう一つは、他人から豊かさを奪って自分が豊かに幸福になるという方法。非人道的だと誰でも思うけれど、自分たちが安価に消費している商品が、実は発展途上国の劣悪な労働条件で奴隷のように働いている人々の犠牲によって成り立っている場合がある。これは、豊かさと幸福を享受しているけれど、無自覚に他人の幸福を奪っていると言える。
そんな、他人の幸福を奪ってでも自分が幸福になる手段の、最終的な形が戦争だろう。他国の富を簒奪すると言う意味もあるが、現代では軍需産業に富を流し込む手段と言う意味合いの方が強い。
資本主義経済で世の中を動かそうと思ったら、資本主義社会が人間の欲望に忠実な仕組みであることを常に自覚しておく必要がある。新技術の開発でみんなが等しくそれまでよりも幸福になる形なら良いのだが、他人の幸福を奪い、他人を踏み台にして幸福を得ようとしていたら、それにブレーキをかける仕組みも必要だろう。
豊かさと幸福の追求にも、健全なものと不健全なものがある。人間が欲望に忠実に生きていくのなら、その点を自覚的に省みる習慣を持たないと、この世界から悲劇が無くなる事はない。
先に、「豊かに幸福になる方法は二つしかない」と書いてしまったけれど、実は他にも道はある。それは、豊かに幸せになろうと言う欲望そのものを制御するという道。
その欲望って、本当に素晴らしいものなのか、単なる幼稚な初期衝動に過ぎないのではないか、単に周囲と比較して「自分も豊かになりたい」と勝手に劣等感を抱いているだけではないのか。
これは経済の世界と言うよりは宗教の世界に近づく。自分自身の心を静かに分析して、「欲に駆られている」自分の心の、どこにその原因があり、自分自身を苦しめているのか。
さて、果たして人間が、こんな宗教的な方向に進むだろうか。私としては、まあ向こう数百年は無理だろうと思いつつも、今の若者世代なんて、既にその方向に進みつつあるのかな、と思う時もある。
一つの傾向として、政府やテレビのコマーシャルとかで、人の欲望を掻き立てる情報を盛んに流すキャンペーンをしても、人々がしらけて反応を見せなかった時、人々がそんな宗教的な方向に進み始めた兆しと見てもいいのではないか。
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